2025年12月12日金曜日

アポイントメントと会議

 金曜日は授業がない日なのだが、今日は会議が2つとアポイントが2つあったので大学に行った。教務関係と財務関係の会議は取り立てて何の問題もなく終わった。

最初のアポイントは少し重たい相談案件。自分のことでなくても気が重くなる。基本的に僕は気が小さいのかもしれない。

もう1つのアポイントは、イタリア語の学生が調査に協力したことでそのお礼に来られた他大学の先生。大変美味しい栗きんとんをいただいた。

今日は義妹の誕生日。Auguri!

2025年12月11日木曜日

来年度に向けての会議

 今日は授業はゼミだけだったが、会議が3つもあり朝から夕方まで忙しかった。そのうちの2つの会議は、来年度に向けたものだ。来年度に正式にメンバーとなる会議へ、今回からオブザーバー参加することになったものと、来年度の役割分担を決める会議。まだよくわからないことも多いものの、忙しくなりそうだ。

ゼミは今は3回生のターン。まだ卒論提出まで1年以上はあるのだが、論文の暫定的なアウトラインを作成してもらい、発表させている。前期に自身の卒論の分野の複数の文献に関してテキストクリティークをしてもらい、後期はいよいよ自分の論文に関する構想を立てさせる。もちろんまだまだ論理的な繋がりのない構成の甘いアウトラインばかりだが、自分で構成を考えてみて、それに気づかせることも大切だと思う。

4回生の卒論提出は1月20日だが、ゼミの中では一度12月15日を期限に提出させることにしている。来週の今頃は最初の添削が始まっている頃だ。あー忙しい時期に突入するな。

2025年12月10日水曜日

初校と船場ショッピング

 今日の午前中は、来年春に刊行される書籍の担当箇所の初校を終えることができた。僕が担当している箇所は、イタリアにおけるキャバレー文化なのだが、なかなか面白い。これまで文学的な劇ばかりを研究してきたが、大衆演芸の分野にも視野を広げていければいいと思う。

午後は妻と出かけた。最近運動不足なので、船場まで歩いていくことにした。途中でラーメンを食べたので、ダイエット効果はほとんど消えてしまったけど。目的地はファンビ寺内という、一般客も会費を払えば買い物することができる船場の卸問屋。地下鉄の中央線に乗っていて、堺筋本町の駅に近づくといつもコマーシャルのアナウンスが流れる店だ。

食料品から高級ブランドのファッションまでなんでも売っていた。確かに、買い物のすべてをここで済ませると仮定すれば、かなり節約できるかもしれない。僕のものとしては名刺入れとネクタイを1本購入した。

2025年12月9日火曜日

火曜日の授業について

 最近忙しくなって、このブログも5日だとか1週間だとかまとめて書くことも増えてきた。小学校の夏休みの宿題の絵日記のような状態だ。毎日の単調な生活の中でも、ささやかな発見やその時に感じていることを記録に残すことで、少しでも生活に彩りを添えたり、時間を大切に過ごそう思って始めたはずなのに。

それで何も特段書くことがない日の分は無理に書かないのだが、カレンダーを見てみると火曜日にブログを書いていないことが多い。授業は3コマと1週間のうちで最も多い日なのだが、その分印象に残る「非日常」が少ないのかもしれない。

今日は火曜日の授業のことを書こうと思う。

1限は2年生の講読の授業。後期はイタリアの新聞や雑誌を読んでいる。背景説明や僕自身も追えていない政治の話題を選ぶことは少なく、文化的な話題や事件記事を題材にすることが多い。今日は、子どもたちを電気もトイレもない自然の中で育てている父親から、裁判所が子供と奥さんを引き離して施設に保護した、という記事を読んだ。子どもが今現在何を感じているか、将来どのように感じるか、はわからない。子育てにおける親のエゴは多かれ少なかれ誰にでもあるだろう。難しい問題だ。

2限目は映画を使った文化演習の授業。ここ数週間は僕の好きな映画 I cento passi (『ペッピーノの百歩』)を見ながら、マフィアの話をしている。観るたびにいろいろな箇所で泣いてしまう映画だ。涙腺も弱くなっているのだろう。

そして4限目は大学院の授業。今年は1人しか受講生がいないので、学生の修士論文のテーマに関わる文献を一緒に精読しているが、修辞学と哲学の対立を扱った論文2本を併読しており、僕の専門とは違う時代ということもあって、なかなか難しい。今季はこの授業に一番予習の時間をかけているかもしれない。


2025年12月8日月曜日

追試験

 今日は4限の後、1年生の文法で中間試験を受けられなかった2人の学生のために追試験を行ったので帰りがいつもより少し遅くなった。インフルエンザだったという。僕自身はここ数年、インフルエンザにはかかっていないが、高熱でしんどい思いをしたことを思い出す。

これから入試の季節に入っていく。毎年のように、どうして風邪やインフルエンザが流行する時期に大切な試験をするんだろうと思ってしまう。体調が悪いのに無理をしてしまったり、試験を万全な状態で受けられなくなったらかわいそうだと思う。自己管理なんて、みんなそれほどできないのに…と思ってしまう。

2025年12月7日日曜日

編集委員会

 今朝は所属している学会の臨時編集委員会がオンライで開催された。「臨時」に集まったのは、学会誌が抱える問題点を話し合い、改革するため。

近年の投稿者の減少を受けて、様々な課題や改善すべき点などを編集委員会で共有した。もちろん制度や方式を変えるには幹事会や総会での承認が必要なわけだが、夏の幹事会までに大きな方向性を打ち出したいと思う。

若い会員諸氏が投稿しやすく、充実した誌面を作るために、投稿後にしっかりフォローして論文の掲載まで編集委員会が伴走する制度を作りたい。

2025年12月6日土曜日

イタリア語弁論大会

 今日は京都外国語大学で「第18回全日本学生イタリア語弁論大会」があった。僕が京都外大にいることに始まった大会で、最初の数年間の苦労を思い出すけど、僕にとっても大切な大会。イタリア語を学習する全国の学生や教員がつどう、学習者のモチベーションを高める上で本当に貴重な場となっている。

阪大から出場した2人を含めて、今年は計7名の学生が参加した。例年と比べると人数こそ少し少ないが、レベルは非常に高く、気落ちのこもったスピーチ内容に時折目頭が熱くなった。僕自身、学生時代に5分間のスピーチ内容を暗記して、それを「表現する」ことなどできなかった。参加している学生たちには本当に感服する。

今回、阪大から参加してくれた2人の学生は見事に1位と2位の成績を収めた。楽しみながら懸命に取り組んでくれた学生たちと、スピーチを指導した同僚のおかげなのだが、僕自身も誇らしい気持ちになった。本当に素晴らしいスピーチだった。

2025年12月5日金曜日

Tanti auguri a te!

 今日は息子の誕生日。京都のマンションがリフォーム中のおかげで、現在は家族三人同居しているので、今年は一緒にお祝いすることができた。僕が今の息子の歳には、すでに実家を出て5年ほどが経過しており、鹿児島に帰省することも少なくなっていた。それを思うと、まだこうして一緒にお祝いができるのは幸せなことだと思う。ベタではあるが、近くのイタリアンで食事をし、自宅でケーキを食べた。Tanti Auguri!


2025年12月4日木曜日

来年からのこと

 今日の教授会で、僕自身にとっても重要なことが決まった。先月の時点である程度覚悟はしていたことだけど。すぐにいくつかのことを手配したり、決断したりしなければならない。

教授会の場で前に座り、先生方の顔を見回すと、まだ話したことのない先生が大勢いることに気がつく。学部の状況や僕のことを、それぞれどんなふうに考えているのだろう。

あとは来年度の学年暦が今日発表されたのだが、原則として祝日には授業をしない弊学では時間割がタイトになりすぎてて、集中講義や補講日がなかなかとれない。何か方法を考えなければ。

2025年12月3日水曜日

執行部会議

 今日の午前は執行部会議。先週時間切れで積み残していたいくつかの議題について話し合った。学部が主催する「ことばと出会うシンポジウム」。今年はイタリア語専攻の卒業生の野村雅夫さん、女優のサヘル・ローズさん、歌手の染谷西郷さんを招いて、個人の中にある複言語について考えた。来場者も600名ほどで、本当に素敵なシンポジウムだった。だが、来年度はすでに会場の箕面文化芸能会館が押さえられていて、大学の中で規模を縮小して、そのかわり来場者参加型の「ことばと出会う」イベントを行うことになった。

事業推進係の方がいろいろアイディアを出してくれたのだが、AIの力を借りて複数のアイディアを出したと聞いて驚いた。昨日のブログで今年はあまり大きな目標を立てなかったと書いてしまったが、そういえば年初くらいにAIについても積極的に勉強して活用しようと目標を立てていたことを思い出した。食わず嫌い…というか、ほとんど勉強できていない。

2025年12月1日月曜日

12月…

 今日から12月。このブログを書き始めてからまだ1年も経っていないが、時間の経過の速さについては、すでに何回か書いた気がする。今年もあと1ヶ月で終わるんだ。今年は何をしただろう。何ができただろう。そもそも年初に大仰な野望なり目標なりを立てることも少なくなってきて、だからこそ答え合わせも明確でなくなってきている。健康で過ごすことや、毎日を丁寧に生きること、など現状維持的な考えになってきている。もう少し若さを取り戻したほうがいいのかもしれない。

今日は両親の結婚記念日。久しぶりに電話をしたところ、母親は割と重めの風邪をひいて咳が止まらないらしい。インフルエンザではないということだが心配だ。

2025年11月30日日曜日

化け猫一座

 2日続けて演劇の話。今日は僕も所属していた(今も所属しているつもりなんだけど、忙しくて今回は参加できなかった)「劇団化け猫一座」の公演を観に行った。コロナなどの影響もあって僕も出演した2019年以来、6年ぶりの公演だった。

『生誕4000000000年記念式典』と題された今回の公演は、地球が誕生して以来、ここに同居している菌類や動植物、そして人間などのすべての生き物が、生誕4000000000年を祝うという筋立てのなかで、現代の人間の傲慢さなどを揶揄した内容だった。

あー昨日も思ったけど、僕も早く演劇に復帰したい。ただ、今の仕事の状況では、定期的に稽古に参加して…というのが現実的に難しい。


2025年11月29日土曜日

語劇祭!

 今日と明日は大阪大学外国語学部にとっての大切なイベント「語劇祭」が開催される。外国語はもちろんコミュニケーションツールであるが、それが伝えるものは単に無機質な情報だけではない、多くの場合そこに感情やニュアンスを載せる必要がある。その意味で、外国語で劇を演じることは、本当に重要かつ効果的な学習法だと思う。

今年のイタリア語専攻は、現代のコメディを扱った。役者をしたのは全員が1年生。サポートを上級生がしてくれたとはいえ、文法の履修もまだ終わっていない今の時点で、セリフを覚え、それに感情やニュアンスを載せるのは大変だったことだろう。それでも、とても強い声で、しっかりと言葉を届けていた。今頃は達成感を感じてくれているだろうか。終了後に学生たちにも伝えたふが、ぜひ来年も参加してほしい。


2025年11月28日金曜日

あと少し!

 今日は会議もなかったので、終日家で仕事を進めていた。10月末締め切りで泣きの1ヶ月をすでに申し入れている論文があと少しで書き終わる。今日はほぼ終日、それに取り組んでいた。

2025年11月27日木曜日

苦手な写真撮影

 今日は執行部会議の後で、リニューアル後のHPに載せる写真の撮影があった。カメラマンの方が、とても上手に誘導してくれてポーズを変えたり、表情を緩めたりするのだが、どうしてもコンプレックスが邪魔をしてしまう。斜視があるので、1つの箇所を両目で見続けることができないのだ。両目を正面に向けたままカメラに映るには、何かを見てはいけない。数メートル前の虚空をぼうっと眺めるしかないのだが、長時間視線をいずれの対象にも向けないことは存外難しい。オンライン授業で資料を見ながら話すと、絶対に自分では見直したくないビデオが出来上がってしまう。

5年ほど前に一念発起して手術を受けようと思い立ち、京大病院に予約までしたことがあった。まだその頃は演劇もしていたが、目線を使った演技ができないのは致命的だと思っていた。ただ、予約の頃にコロナが大流行をしていて、結局病院に行くことはできなかった。やっぱり手術したいなぁ。先日もテレビで指揮者の方が取り上げられていて、その時も思ったものだ。ああ、僕は目線が外側に勝手に逃げるから指揮者も絶対できないな、と。


2025年11月26日水曜日

中間試験とインフルエンザ

 今日は水曜日だけど月曜日の時間割。そう、またである。今週も月曜日が祝日で授業がなかったことによる振替である。学年暦の教授会承認の際に、いつも疑問の声が上がるのだが、現在のところ弊学で90分✖️15週の設定で、かつ祝日には授業をしないので、どうしても1年に数回はこういう振替の日ができてしまう。非常勤講師として複数の大学を掛け持ちされている先生は大変だと思う。

5限目の1年生の文法の時間は中間試験を行なった。ただ、今インフルエンザが流行っているらしく、昨晩2人の学生から欠席の連絡。そういえば今週の金曜日に研究室を訪れる予定だった方も、ご家族がインフルエンザにかかってしまい来れなくなったと言っていた。僕も喉が弱く、風邪にかかっただけでも喉が腫れ、高熱が出るので気をつけなければ。

2025年11月25日火曜日

名誉教授会

 今日の夕方はリーガロイヤルホテルで開かれた大阪大学名誉教授会に学部長代理として参加した。今年度の物故者の名前の読み上げと黙祷の後に叙勲者の名前が読み上げられるという名誉教授会ならではのシュールな展開。代理が参加している部局は少ないし、代理なので部局長会議などにも出たことのない僕にとっては、知っている人がほとんどいないアウェーな雰囲気。数少ない知っている先生方や外国語学部出身の名誉教授の方を見つけて積極的に話しかけに行った。

途中、産業科学研究所の先生の研究内容についてのご講演があったが、最先端かつ有用で、将来のさらなる発展も期待できる素晴らしい研究内容だった。

人文科学とは載っている土俵が違いすぎる気もしたが、僕たちも僕たちなりに社会に、あるいはその構成員である人間に貢献できる研究をしていかなきゃならない。

2025年11月24日月曜日

ママ友&パパ友と

 今日は子どもを通じて知り合い、家族ぐるみで仲の良い夫婦が大阪まで遊びにきてくれた。京都からこちらに引っ越してきて2年以上経つが、こちらで会うのは初めてだった。

家の近くの「なのにわ」で回転寿司を食べ、それから大阪市歴史博物館に行き、高い場所から大阪城周辺の紅葉を堪能した。妻のアイデアだったが、大阪城とそのお堀、そして外側を取り巻く木々の紅や黄、緑のグラデーションは最高に美しかった。それに、おまけのつもりだった歴史博物館の展示にも結構見入ってしまった。

その後、うちに移動してビールとおつまみを両手にゆっくりおしゃべりの時間を過ごした。息子がエジプトに留学しているときに、その夫妻の息子はエジプトまで会いに行ってくれていて、その時のことなどをいろいろ教えてくれた。我が家よりも親子のコミュニケーションが取れているようで羨ましい。息子たちは、春休みに小学校時代の担任で今は福井県で働いている先生を訪ねに行く計画を立てているらしい。もちろんそのことも知らなかった。

2025年11月23日日曜日

いとことの食事会

 今日の晩はホテルヒルトンの日本料理店でのディナー。格式と値段が高くて怖気付いてしまうのだが、一品一品丁寧に作られていて、美味しいのはもちろんのこと、視覚や嗅覚、そして食感でも楽しませてくれる。たまにはこんな贅沢もしてみたい、社会勉強として。よく妻にも冗談めかして話すのだが、少なくとも僕の上司や先輩には祇園や北新地に僕を連れて行ってくれるような人はいなかった。だから本当に高級なものを知らない。浜ちゃんの格付けチェックに出れば、きっと「写す価値無し」になってしまうだろう。

今日は義母と義妹と妻のいとこたちとの食事会だった。いとこたちとは、義父の葬儀のときまで、僕自身は会ったことがなかった。その後の法要などを通じて、妻とのつながりが復活して、最近では年に1、2回ほど食事をしながら話すようになった。妻の2人のいとこはとても魅力的な人で、僕とは違う世界で活躍している。

妻の伯母(その2人の1個の母親)が昨年亡くなって遺品整理をしていたら、昔の写真がたくさん出てきたとかで、今日は妻の子ども時代の写真なども見せてもらった。そういう時間もすごく大切だと思った。

2025年11月22日土曜日

一番おいしいカルボナーラ

 今日は妻が友人と出掛けており、昼は息子と二人。お昼はなんでもいいというので、もう10年以上前、まだ京都に住んでいるときに息子と1度だけ行った店?を再び訪れてみた。

なぜクエスチョンマーク(?)をつけたかというと、以前行った時は柘榴珈琲という名前でシックな看板がかかっていて、でもパスタの種類も多いという店だったのだが、同じ場所は今「お酒の飲めるパスタ屋さん」という極彩色の看板がかかっている。店先のおじさんを形どった特徴的なオブジェがまだあるから、同じ店なのかなとは思っていたけど、こちらに越してきてからまだ入る勇気がなかった店だ。

経営者は多分同じ人だったと思う。ただ薄暗い店内には、南アジア系の従業員ばかりが働いていて、ローマの大衆食堂を思い起こさせる。ランチの時間だったせいか、あるいは夜もそうなのかわからないが、昔はめちゃくちゃ種類が豊富だった記憶があるパスタの種類がかなり減っていて、そこだけは残念だった。僕と息子は、表の看板にあった「一番おいしいカルボナーラ」を注文した。パスタが来る前にガーリックトーストとサラダが来るのだが、ガーリックトーストは美味しくてびっくりするほどでボリュームも十分だった。その時点でかなり満足。その後、ついにカルボナーラが到着。流石にイタリア関係者として「一番」とは言いづらいが、とても美味しい濃厚なスープ状のソースにパッパルデッレが絡みついて美味しいカルボナーラでした。


2025年11月21日金曜日

紅葉と外国人

 絶好の行楽日和。妻は友人と南禅寺と永観堂に紅葉狩りに出かけた(なぜ「狩り」というようになったんだろう?)。僕もどこかにふらっと出かけて、青空のもと色づいた自然を眺められれば良いんのだけど、明日からの連休もいろいろしなければいけないこともあるので、今日は家で一日中仕事をしていました。

妻曰く、中国との外交問題も影響しているのか、この時期にしては海外からの観光客は少なかったみたい。

せめてブログだけでも彩を添えて(妻から送られてきた写真です)。




2025年11月20日木曜日

卒論指導と会議

 今日は授業はゼミ一つだが、会議が3つもあった。どれも大切な会議で少し疲弊してしまった。

ゼミは卒業予定者の進捗報告を今日で終えた。提出の最終期限まで後2ヶ月。だが、今年は全員に一応の完成原稿を12月に提出させることに専攻で決めた。そこから教員が丁寧に読んで、しっかり修正してもらう。昨年は最終提出期限ギリギリに教員に見せにくる学生が多くて、なかなか細かい修正指示ができなかったことの反省を踏まえての処置である。


2025年11月19日水曜日

研究と冒険心

 今朝は、今年ノーベル生理学・医学賞を受賞された坂口志文先生にご挨拶をさせていただく機会があった。箕面キャンパスを訪れ、スウェーデン語専攻の教員や学生たちと交流される前に、5分ほど執行部の教員でお迎えしたのだ。僕の「制御性T細胞」に関する知識はマンガ『はたらく細胞』で読んだ程度にとどまるが、研究で未知のものを発見、創造することは、研究者冥利に尽きるのではないだろうか。心より敬意を表したい。

午後は高野秀行氏の講演会に参加した。以前から高野氏の本を読んでいて、学生にはそのまま勧められないけど、こんな生き方憧れるなぁと思っていた。異国の環境に飛び込んで、語学を魔法の杖にして目一杯冒険する。

講演会の後、一緒に箕面ビールを飲みに行く幸運にも恵まれ、いろいろおしゃべりさせていただいた。やっぱり魅力的な人だった。



2025年11月16日日曜日

「フィレンツェの市民生活とルネサンス」

 昨日は学会に行けなかったが、今日はイタリア学会が主催する記念フォーラム「フィレンツェの市民生活とルネサンス」に参加することができた。フィレンツェ市と京都市の姉妹都市提携60周年を記念してのイベント。60周年というと、日本的な考えでは還暦、干支(十干十二支)が1周したことになる。長い年月、姉妹として育ってきたことになる。

イタリア学会から3名の先生方が、それぞれのご専門の分野を市民の皆様に向けてわかりやすく説明していて、良いフォーラムだったと思う。個人的にはミケランジェロのダヴィデ像をどこに置くかの論争とフィレンツェの実質的な統治者の話が面白かった。

画像のプレビュー

2025年11月15日土曜日

編入学試験

 今日はイタリア学会の年次大会が京都大学で開催された…はず。今年は文学に関する発表が多く、聞きたいものも多かったのだが、本務校での編入学試験業務。イタリア語専攻にはあいにく志願者はいなかったのであるが、今年は入試の責任者になっているので本部待機。

問題点検者や口頭試験に当たる先生方が集まるたびに説明とお願いをする…だけ。大切な役割であるのは間違いないけど、傍目にはお弁当を食べにきただけにも見えてしまうかもしれない。

2025年11月13日木曜日

IsolaとArcipelago

今日のゼミは、現在「京都文学レジデンシー」で日本に滞在している、イタリアの若い詩人、フランチェスコ・オットネッロ氏をお迎えして特別授業を行なっていただきました。「自分の詩にコメントするのは難しい」と言いながらも、彼の詩を理解するヒントをいくつか説明していただきました。

アウストラロピテクスからメタバースまで時間や空間を自由に飛翔して人間の状況を描くオットネッロ氏の詩にあって、彼の創作態度だけでなく、詩の形式や構造にまで影響を与えていたIsolaとArcipelagoに関連する考え方が、個人的にはとても興味深かった。
彼の故郷で、いろいろ写真を見せてくれたサルデーニャ島にもまた行きたい!

2025年11月12日水曜日

ハム大探検

 他大学に入るのはスリリングな体験だ。非常勤講師として他大学を訪れることはこれまで何度もあったが、今日は近隣の市民という立場で妻と、新しくできた大阪公立大学森ノ宮キャンパスの探検に出かけた。当初、大阪城公園に紅葉の具合を見に行ったのだが、まだ見頃までにはもう少しというところだった。それで図書館のカードでも作ろうかということで、大阪公立大のキャンパスに向かった。阪大箕面キャンパスは授業のある建物と図書館の建物は別なので、市民も普通に入れるが、公立大の図書館は4階5階だった。授業をしているガラス張りの教室の横を通って図書館に行くのは、少し勇気が要った。

キャンパス自体10月から使われ始めたばかりで、まだ学生も文学部?の1部しか来ていないので、それほど活気はなかったが、図書館や12階のラウンジ、屋上からの眺望は素晴らしかった。電車好きがきっと気にいる地下鉄の操車場の向こうには、紅葉が始まったばかりの木々の少し上方に大阪城の天守閣がくっきりと見えた。いい学習環境だと思う。

図書館のカードを作り、とりあえず本も1冊借りたので、たまには行くことにしよう。



2025年11月11日火曜日

通訳講座

 11月11日。ポッキー、プリッツ、チンアナゴの日! ただ言ってみたかっただけ。

今日の6限目には外部の業者に委託して3回だけ行う通訳講座を見学させていただいた。イタリア語が話せるというと、通訳や翻訳もできると勘違いされることも多いのだが、通訳や翻訳はまた別の技術。特に通訳は、たとえ逐語通訳であってもまず僕にはできないし、同時通訳なんて絶対に無理だと思う。

通訳講座の参加者は12名。英語の同時通訳を養成するためのメソッドにしたがってシャドウイングやリプロダクションなどを練習していたが、まぁ驚くほど難しい。でも、若くまだ脳が柔軟なうちにこの訓練をすれば、たとえ同時通訳者になるのは難しくても、きっと飛躍的に英語の能力を伸ばせそうだと思った。面白い講座だった。

2025年11月10日月曜日

重たい案件

 今日の午前中は少し重たい案件があった。苦手な仕事だが、立場上仕方がないし、自分の倫理観に基づいてしっかり注意しなければならない。どこまでわかってもらえただろうか。

午後は豊中の授業。帰りに梅田阪急でお弁当とコロッケを買って帰った。

2025年11月9日日曜日

雨中のBBQ

 朝、京都に向かう時からすでに雨脚が激しい。残念な思いを抱えて京都のマンションリフォームの最終確認に向かう。内装は6割くらいできているといったところだろうか。広いような気もするし、柱や壁が目立ってそんなに広くない気もする。空間把握があまり得意でない僕には、まだ完成図は予想できない。年末まで楽しみにしておこう。

昼頃に宝塚の同僚の家に向かう。今日は1年に2回ほど開催されるイタリア語専攻の教員が集うバーベキューなのだ。非常勤講師や元の同僚、皆家族づれで集まるので楽しいことこの上ない。梅田の阪急に立ち寄り、つまみを少し買って遅れて行った。

想像していたように羨ましい庭のパラソルの下には誰もおらず、皆家の中でおしゃべりしていた。同僚の奥様がパスタやチキン南蛮など美味しい料理を次々に出してくれて、同僚自身はお肉やサルシッチャを焼いてくれる。あっという間の楽しいひとときだった。


2025年11月8日土曜日

咲耶会総会

 今日は午前中から夜まで、大阪外国語大学時代の同窓会組織「咲耶会」の総会に出席していた。僕自身は、大阪外国語大学の卒業生ではないのだが、後身の大阪大学外国語学部の役職をしているので、この2年間は自動的に咲耶会の役員も務めている。

幹事会や総会は、いつもの話題といつもの展開。つまり、会員数の減少とそれに伴う収支の悪化をどう解決するか。率直に言ってなかなか解決は難しいように思う。

その後の咲耶出版大賞の授賞式でのスピーチと特別講演会が本当に良かった。前者はガザやイスラエルに取材してハマスの実像を描いたルポルタージュを上梓したアラビア語専攻の卒業生で、後者はウクライナに取材するロシア語専攻の卒業生。まさに言葉を基底にして異文化を理解し発信する外大生の面目躍如といったところである。お二人の話を聞いていて、怒りや悲しみ、涙、いろいろな思いが交錯し、心を揺さぶられた。

その後の懇親会では、退職された懐かしい先生方と杯を酌み交わした。それもまた嬉しい時間だった。


2025年11月7日金曜日

ラジオドラマ

 夕方6時、スマホでFM千里に繋ぐ。一緒に舞台に立ち、映画の吹き替えもした大切な仲間がラジオドラマに出ると知らせてくれていた。今度の役は悪魔だそうだ。

いつもより低音の慣れない声が耳元で聴こえる。でも確かに彼女の声だ。コメディの展開に従って、声に緩急がついていく。しっかり面白かった。

最近になってGoogle Notebook LMを覚えて、論文の内容を「聴く」機会も増えた。確かに効率よく理解できる気がする。だが、やっぱり耳から聞くのは音楽やドラマなどクリエイティブなものの方が楽しい。

よくCMしているオーディブルも始めてみようかな。

2025年11月6日木曜日

Sfida

 社会通念上は喜ぶべきことなのかもしれない。でも、僕の脳裏をよぎるのは韓国の大統領であったり、『セクシー田中さん』の原作者であったり… 勿論、そこまで不吉なものではないかもしれないが、成功を過信した後に足元を掬われるイメージである。重責を真剣に考えるべきだとも思うし、そんなに大したことじゃない、気楽にやるべきだとも思う。とにかく家族や同僚には負担をかけてしまうが、僕自身としては気持ちにゆとりを持っていたい。

今日の夕方は10月から着任した教職員を歓迎するささやかな懇親会があった。少々飲みすぎたきらいもあるが、いろいろな方とお話できて楽しかった。

2025年11月4日火曜日

秋を探しに

 数日前のこのブログで旅行したいと書いたが、授業がない学際休みも今日で終わり。どこか行きたくて妻と箕面の滝へ行った。意外にも妻は初めてだという。僕の方はイタリア人を案内するときに箕面の滝と勝尾寺は定番になっているので、何回か訪れたことがある。どの季節に行っても気持ちいい。マイナスイオンが実際にはどんなものだかわからないけれど、リラックスできるのは確かだ。

紅葉はまだまだだったけど、散在している少しだけ赤くなった葉を探すのもまた良かった。紅葉の天ぷらはさすがに食べずに、国定公園内の山本珈琲店に入る。



2025年11月2日日曜日

あれっ!?

 久しぶりに大きなミスを犯してしまった。

手帳には、大阪外国語大学の同窓会組織で、今年僕が役員を務めている「咲耶会」の総会と書かれていた。日曜日なので守衛さんのところへ行き、鍵を開けてもらおうとしたところ、今日咲耶会の予定は入っていないという。研究室に行って書類を確認したところ、咲耶会総会は今週の土曜日11月8日となっていた。

曜日も全然違うし、8日と2日をなぜ間違えたのだろう。最近忙しくて疲れてるのかな。

2025年11月1日土曜日

Colorato

 いつも別々の時間に夕食を食べる息子とたまには一緒に食べたい!ということで、今日はシチリア料理に誘ってみた。同僚の先生(イタリア語専攻ではないけど)から聞いていた天満橋近くのイタリアンに。

前菜のカジキマグロは最高だったし、お皿もすべてカルタジローネで買ってきた楽しい図柄のもので、本当にシチリアで食べているみたいだった。それに久しぶりに3人で夕食を食べた。まさに彩りのある晩だった。




2025年10月31日金曜日

まちかね祭だけど

 明日から大阪大学の学園祭「まちかね祭」が始まるということで、今日から来週の火曜日まで授業はない。5日間のちょっとしたバカンスということになる。

ただ、締め切りを過ぎた原稿や、ほかにもやるべきことが結構あって、とても旅行には行けない。どこか2,3日でも国内旅行がしたいなぁと妻と話しているのだが、なかなか実現しない。

今日の午前中は、大学の相談室から執行部あてに少し重たい案件の報告。早急に対応しなければ。

2025年10月30日木曜日

忙しい一日

 木曜の午後は会議日。今日は12時15分から人文学研究科の教授会があったので慌ただしかった。数年前に外国語学部の上にあった言語文化研究科と文学部の上にあった文学研究科が合併して人文学研究科になったものの、キャンパスも箕面と豊中で離れており、普段はなかなか同じ研究科に所属しているという意識は持たない。

ただ年に数回ほど、Zoomで2会場をつないでの教授会がある。今日はその日だった。人文学研究科長を選ぶ選挙だった。全部で5専攻からなる研究科のうち3.5専攻は豊中にあり、当然豊中所属の先生方のことはあまり知らない。だから選びようがない… と人文学研究科になって以来、ずっとそう思っている。

その後、専攻語代表会議を挟んで執行部会議。僕は専攻語代表ではないので、その間に昼食をとっていたのだが、執行部会議で伝え聞くところでは、専攻語代表会議ではある懸案で少し揉めたらしい。

さらに今日は執行部会議のあとも入試問題のチェックなどがあり、かなり帰りが遅くなってしまった。

2025年10月29日水曜日

ベッドの衝動買い

 今日は授業も会議もなかったので、妻とぶらりと梅田に。阪神百貨店での食材の買い物、そしてメゾンカイザーでパンを買うことが目的だった。

何気なくグランフロントに立ち寄り無印良品でバインダーや日用品を買っていたが、今10%引きのセールをしていて、さらに「ゆっくり割り」なるキャンペーンがあり、1ヶ月半以上後の配送だと、ポイントがかなりつくらしい。そういえば、ASKULの通信障害のニュースで無印の配送にも影響が出ているといっていたから、そうした影響もあるかもしれない。

ベッドとか見てみない、と妻に言われ、ベッドコーナーに。いろいろなベッドに横になって、結局新居の息子用のベッドは無印でいいか、ということになり衝動買いしてしまった。

2025年10月28日火曜日

命日

 10月28日はお世話になった高槻の伯母さんの命日。2年前だった。

鹿児島から京都に出てきた大学時代には、数ヶ月に1度くらいの割合だっただろうか、高槻の伯母さんの家に行くと、いつもたくさんんお料理でもてなしてくれた。お昼ご飯から晩ご飯の間もずっとお菓子か何かを出してくれて、一緒におしゃべりしていた。タクシーの運転手をしていた伯父さんが帰ってきて、晩酌に付き合ってから帰るというリズムができていた。

結婚して家庭をもつとあまり行かないようになってはいたが、それでも年始や冠婚葬祭など親戚が集まる時には、いつも親切にしてくれた。

昨年の命日、姫路に住んでいるいとこ(伯母さんの長女)に電話をかけると、ショッキングな話を聞いた。伯母さんが亡くなって数ヶ月後に伯父さんも病気で亡くなっていたらしい。伯母さんの葬儀で、棺に縋り付くようにして泣き叫んでいた伯父さんの姿を思い出した。お葬式でそこまで取り乱す人をそれまで見たことがなかったから驚いたが、愛情の深さを感じて感動したことを覚えている。

きっと伯母さんなしでは頑張れなかったのだろうな。

2025年10月27日月曜日

病院

 今日は3ヶ月に1回の腎臓の定期検診の日。かかりつけ医が京都にいて、その先生の診察は月曜日にしかないので、1限目を休講にして京都に向かう。

大学に入学したときの健康診断で引っかかり、もう30年以上も気長に付き合っている病気だが、やはり毎回の検査の時には緊張する。数値が極度に悪化していたらどうしよう。

かといって、日頃健康的な生活を送るでも、飲食に気をつけているわけでもないのだから、身勝手なものである。

幸い、特段変化もな買ったので、これまで通りの処方と3ヶ月後の予約。急いで大学に向かった。朝ごはんを抜いていたので、大学前のインド料理店で、少しデラックスなランチを食べた。

2025年10月26日日曜日

ライスヌードル

 どこにも行かなかった日曜日。妻は友達とコンサートを聴きに行った。午前中は今書いているイタリア語論文を少し進めて、あとは今週の授業の予習。

お昼に息子がライスヌードルを使って焼きうどん?のようなものを作ってくれた。美味しかった。その後、息子も出かけたので、家で勉強したり、お笑いコンテストを見たりしていた。


2025年10月25日土曜日

ギフト🎁

 今日の午後は、演劇仲間が1年に1度贈り届けてくれるギフトを受け取りに。歌を中心として、ダンスや劇も詰め込んだお得なプレゼントなのだが、「命」をテーマにした今年はボディビルダー!?の参加もあったりして面白かった。

強く励まして背中を押してくれる、というタイプではないのだが、身近にある大切なものに気づかせてくれ、自分を肯定するとともに、周りのものを今までより慈しみを持って見ることができるようになる、毎年そんなギフトを受け取りに行くのだ。

あー、僕もまた演劇したいな。願うことなら歌やダンスもできればいいのに。

2025年10月24日金曜日

カーテン選びとウンベルト・エーコ

 今日の午前中は妻とカーテンのショールームへ。リフォーム後の京都のマンションに設置するものを選びに行った。カタログの中から良さそうなものをいくつか選んで、実際にサンプルを見せてもらうのであるが、大きさが変わると(カタログの大きさからサンプルの大きさへ)、色合いや光の透過性、テキスタイルのニュアンスまで印象が微妙に変わってしまうので難しい。だいたい今まで、大学に入る時の一人暮らしのために、イズミヤかどこかで好きな色だけを(つまり遮光だとか、生地の種類とかは度外視して)選んで安いカーテンを買った記憶しかない僕にとっては難しすぎた。

結局妻に任せたのだが、新居にマッチすればいいな、と思いつつ、住み始めたら結局何も気にしないんだろうな僕は、とも思う。

晩は楽しみにしていたオンラインでのウンベルト・エーコに関する講演会。ボローニャ大学からAnna Maria Lorussoさんを招いて、国内からは和田忠彦先生、橋本勝雄先生というエーコの代表的な研究者がディスカッサントとして参加した贅沢なものだった。

エーコについては、これまで読者として圧倒されるばかりで、研究したことも授業でちゃんと取り上げたこともなかったのだが、やはり重要な作家で再読してみたいと思った。

2025年10月23日木曜日

合同ゼミ

 今日はイタリア語専攻3つのゼミを合同して、作家のマッテオ・B・ビアンキさんの特別授業を実施した。先週末に大阪市立中央図書館で、彼の自伝的著作La vita di chi resta(邦題は『遺された者たちへ』) についての講演会を聴き、その重たい内容に少し心配もしていたが、学生たちを前にした今日の特別授業では、本の内容に加え、彼のこれまでの道のりや現在彼が編集者を務めている、新たに立ち上げた出版社Accentoのことや、そこで出版している若手作家の興味深い本の話など、いろいろなトピックをユーモアを交えながら話してくれた。

学生からも、尊厳死のテーマについてや自己表現についてのものなど多くの質問が出て、とても有意義な時間を過ごすことができた。

このような機会を持つことができて、イタリア文化会館・大阪のイニシアティブにはとても感謝している。



2025年10月20日月曜日

サラームの戦場

 録画しておいたNHKスペシャル「サラームの戦場」を晩に観た。昨日のシンポジウムでサヘル・ローズさんが「爆撃の音に似ているから花火が嫌い」と語っていたことが、放映を見て腑に落ちてきた。

2年間近くに及ぶ記録だったので、瓦礫へと変わっていく街並み、笑顔を失い、配給に争うように群がる子どもたち、頬がこけていくカメラマンのサラームさん、いろいろな変化が垣間見られ、その変化を余儀なくした月日の長さ、重さに思いを馳せた。

日本のテレビではあまりないことであるが、テロップ付きでご遺体もご遺体に取りすがりながら泣き叫ぶ残された人々の姿も克明に映されていた。

再び停戦合意が反故にされようとしている現在、状況を憂えているだけでいいはずはないのだが、何をすればいいだろう。

2025年10月19日日曜日

あなたを彩ることばはいくつ?

 今日のシンポジウムに参加するまで、考えたことのない問いだった。僕を形作っている、いや「彩っている」言葉には、どんなものがあるだろう。生まれてから18年くらいは鹿児島弁をベースに、せいぜいテレビドラマで見る標準語と学校で習った英語くらいだった。

京都に来てエセ関西弁を話すようになり、イタリア語を学び、そして教壇に立つようになってからは、関西人からのエセ関西弁に対するツッコミが怖くてエセ標準語を話すようになった。その後、アラビア語をかじり始め、舞台では身振りや表情の身体言語を学んだ。広い意味での「ことば」ということなら、もっとたくさんあるかもしれない。

今日のシンポジウムでは外国にルーツを持つ3人のパネラーのトークや絵本の朗読、ライブを通じて、決して「ツール」だけではないことばの力を思い知らされた。笑ったし、泣いたし、年甲斐もなくジャンプまでした。今日の3人のように、立体的で質感があり、艶やかで、感情をしっかり伝え、心を激しく揺さぶるようなことばを届けることができるようになりたい。外国語を教える、文学を教える教員として、社会人として大人として、そして夫として親として。



2025年10月18日土曜日

遺された者たちへ

 今日は大阪市立中央図書館に。イタリアの作家マッテオ・B・ビアンキ氏の著書La vita di chi resta(邦題は『遺された者たちへ』)の出版記念で、ビアンキ氏と社会学者で生活史の聞き取り調査なども行っている岸政彦氏の対談イベントを聞きに行った。

本を読んでいた時は、ビアンキ氏に感情移入して泣きながらも、そのような喪失は自分の身には決して起きてほしくない、本当の意味で理解などしたくない、とどこか拒否感のようなものを感じていた。

今日、自らに起きた悲劇(という表現では軽すぎるだろう)を、作家としての距離感と理性をもって話すビアンキ氏の姿を見て、少し心が軽くなった。良かった。来週の木曜日、弊学でもビアンキ氏に講演をしてもらうのだが、学生たちに本の説明をして、講演の際はビアンキ氏にどんどん質問してね、と呼び掛けていたのだが、正直今日まで、僕自身どのような声が掛けられるだろう、ましてや質問など軽々しくできるのだろうか? と思っていたのだ。

また、岸氏が話していた戦争体験者へのインタビューについても、心を揺さぶられるところが多かった。肉声を聞くことの重要性や肉声のもつ喚起力を強く感じた1日だった。



2025年10月16日木曜日

大学院入試説明会

 今日はいろいろ忙しい日だった。うちの学部では木曜の午後は会議日なので、授業はないのだが、今日は委員会が一つに、派遣留学のための専攻内の試験、そして大学院入試の説明会があった。

大学院入試の説明会では、他大学の4回生の参加があった。嬉しい限り。現在の卒論の進捗や大学院進学後の研究計画などを伺った。すでに留学経験もあり、研究したいことも明確なように感じた。院進する学生が減ってきている昨今、イタリア関係でも多くの人が大学院に進んでくれると嬉しい。

ちなみに目の端、大きな部屋のほぼ対角線上には、息子の姿もあった。まだ3回生だが、彼はどうするのだろう?

2025年10月15日水曜日

国際送金

 午前中、御堂筋沿いの三菱UFJ銀行大阪本店の6階に向かう。いささか緊張気味で、なにか不条理なことがあれば文句を言おうと若干臨戦態勢でもある。

今年の初めくらいだった。エジプトに留学中の息子の学費を国際送金で払おうとしたものの、先方から指定されたエジプトの銀行口座とその大学とが「紐づけされていない」ということで、3回も送金に失敗し、その度に手数料を取られることになった挙句、結局銀行を通しての国際送金ができなかった苦い思い出が蘇ってきたのだ。

今日の要件は、それとはまったく別。イタリアの美術館に所蔵されているタペストリーの図版を僕の論文に使用したくて、その使用許諾料をやはり国際送金で払いに行ったのだ。今度は何も不都合やイレギュラーなことがありませんように。

約30分後。何の引っ掛かりもなく送金の手続きは完了した。17ユーロの図版使用料の送金のために銀行手数料が7000円もかかること自体少し不条理を感じたが、それでも晴れやかな気分で銀行を出て、堺筋本町の趣のあるカフェに入った。

2025年10月14日火曜日

ジャイアントキリング?

 もうそれほどジャイアントキリングじゃないのかもしれない。僕らがウイイレに夢中になっていた頃には想像できなかったけれど。個のテクニックでもかなり世界に近づいて来ている。ヨーロッパでプレイする選手も増えて、通用するという自信もつけているのだろう。来年おワールドカップが楽しみだ。

2025年10月13日月曜日

出雲駅伝

 3連休最終日。今日は明日からの授業の予習と論文の執筆を少しだけ進める。

途中、テレビで出雲駅伝を見ていた。今まで駅伝は正月の箱根駅伝くらいしか見たことがなかったのだが、景色が違う。出雲大社には行ってみたい。そういえば今の朝ドラも島根が舞台だ。旅行行きたいな。

2025年10月12日日曜日

どこ見る? どう見る? 西洋絵画!

 3連休の中日。どこかに行きたくて検索。京セラ美術館でサンディエゴ美術館展が明日までなのを知り、京都に向かう。すでに訪れていた息子から、良かったというざっくりした評判を聞いていたので。

篠田屋で久しぶりに皿盛りを食べ、美術館へと歩く。すごい人出だと思ったら、平安神宮前では「京都学生祭典」が行われていて、よさこい?のダンスミュージックが鳴り響き、鳥居をバックに色とりどりのハッピのようなものを着て、顔にもラメをつけた学生たちが楽しそうに踊っていた。懐かしい。

カリフォルニアになど行くこともないので、どんな絵が来ているか楽しみだった。実際、ジョットやフラ・アンジェリコなどイタリア人の絵画も図録でしか見たことのないものを見ることができて良かった。

帰りには三条通のスギモトというケーキ屋に寄り、チェリーパイを食べた。素朴で美味しかった。



2025年10月11日土曜日

焼き鳥弁当とキングオブコント

 今日も特に何も起こらず、平穏にすぎた一日。お昼前に義母と義妹が、美味しい焼き鳥弁当を持って来てくれて、午後までクライマックスシリーズを見ながら過ごしていた。

今日から3連休。テレビのニュースでは閉幕を控えた万博の混雑ぶりがしきりと映し出されるようになった。もう半年過ぎたのか。時間の流れは早い…ようでいて、今日はゆっくり流れていた。

夕方に所属している学会から次期編集委員の打診がきた。本当に大変な仕事なんだけど、微力ながら学会に、そして若い研究者に恩返しをしなければ。

晩はキングオブコントを堪能。最近M1もそうだが、僕が面白いと思う芸人の得点があまり伸びない。人それぞれの好みだからいいとは思うけど。

2025年10月10日金曜日

10月10日

 今日は午前中にオンラインの会議があっただけなので、買い物に出る以外は家で過ごしていた。パソコンの前に座っている時間が長かったのだが、右上の表示にふと目が行くと10月10日。今では普通の平日だけど、昔は「体育の日」だったなぁとふと思う。

移動祝日が普及して以来、いくつかの祝日が日付のアイデンティティを失い、なんとなく無抵抗に月曜日に移動した。連休は誰にとっても(特に経済を回すためには)ありがたいと思うが、それでも少し残念な気もする。

例えば、昭和時代には10月10日の体育の日生まれにちなんだ命名もあったかもしれない。そんな文化まで喪失してしまった気がする。

2025年10月9日木曜日

ゼミと教授会

 今日からゼミは卒業予定者の発表。うちは卒論の提出は1月20日が締め切りなのだが、昨年度はギリギリに提出した学生が多く、結果的に一人の学生が不受理となって卒業できなかった。学科教員一同、忸怩たる思いだった。そんなわけで、今年度からは1ヶ月前の12月20日に3つのゼミとも一応の完成版を提出してもらい、その後、我々がしっかり確認、添削などをしようということになった。

したがって、実質あと2ヶ月くらいで書いてもらわなければならない。今日の発表でも自然と指導が厳しめになってしまった。ゼミ生には少しでも自分が納得のいく卒論を書いてもらいたい。

午後は今日は教授会の日。いくつかの懸案があっていつもより長い時間がかかってしまった。

2025年10月8日水曜日

剥いだ爪と切り取った耳

 今日は1日のうちに京都・大阪・神戸の三都物語(古い!)を達成した。

朝は京都の病院で、足の親指の爪を剥いでもらった。もう5年くらい前になるだろうか。京都駅近くのキャンパスプラザで学会の幹事会を開いていたときだった。会議用の長机を一人で運んでいて、誤ってそれを左足の親指の上に落としてしまったのだ。爪が縦に大きく割れて、血が吹き出した。結局僕はそのまま病院へ直行することになり、翌日の学会には松葉杖をついていくことになった。その後、傷は治ったものの、奇妙なことに僕の足の親指の爪はずっと左右に割れたまま2つに分かれて伸び続けた。それを数週間前に机の角にぶつけて、その半分が剥がれそうになっていたのである。今まで傷テープで保護して、なんとか爪が剥がれ落ちないように注意しながら生活していたが、ついに皮膚科に行って剥がれかかった爪を取ってもらった。しばらくは足の親指の爪がない状態になる。正直怖い。

その後、神戸で妻と待ち合わせてゴッホ展へ。「夜のカフェテラス」や「自画像」などクレラー=ミュラー美術館の作品が多く来日していた。「夜のカフェテラス」が素晴らしいのは、やはり星空の明るさだろう。黄色と青が隣り合っていてカフェテラスの陽気さを強調している。好きな絵だ。




2025年10月7日火曜日

1週間、無事終了

 先週の水曜日から後期の授業が始まったので、今日で1週間。すべての授業を一通り終えたことになる。夏休みにもう少し準備できていればよかったのだが、いざ始まってからの自転車操業はいつものこと。でもそれなりに、手応えはあった1週間だった。宿題の添削に講読や講義の予習。同僚とリレー方式で行っている授業の報告… いつものルーティンも戻ってきた。

妻はわりと模様替えなど律儀に守る方なので、10月からスーツで通っているが、やはり大学に着く頃には汗だくになっている。それでも夕方帰宅する時には、かなり涼しさを感じるようになってきた。地下鉄の出口を出たときの外も気付けば暗くなっている。秋も頑張ろう!

2025年10月6日月曜日

降って湧いた話

 今日はこの先の数年間の労働環境がガラリと変わってしまう可能性のある話を聞いて、ショックを受けている。まだ、どうなるかわからないが、少しは覚悟しておかなければなるまい。

後期は5限目の授業がなくなり、少し早く帰れるのが嬉しい。梅田の阪急で中秋の名月観賞用の団子を買って帰った。本当に綺麗な月だった。

2025年10月5日日曜日

墨出しとトイレ問題

 今日は京都のマンションに。初めて聞く言葉であったが「墨出し」と言って、本格的に壁などを建築する前に、設計図に描かれた壁や床、天井の位置や高さ、梁を避けての配管や配線の場所などを、建築現場に墨を使って示す日だった。元々空間的な認知能力に自信がない僕は、図面だけを見ていても、空間があまりイメージできなかったが、今日コンクリートの床や梁が剥き出しになった空間を見て、初めてなんとなくではあるがスペースを意識することができた。

ふと気づくと、妻と業者の方が深刻そうな顔をして話している。マンションの理事会に掛け合ったが、トイレの配管の位置を変えることができなかったため、当初の図面よりも便器前方がかなり狭くなるという。それは嫌だ。たまに出張の時に狭いトイレがあると、頭をぶつけてしまいそうになる。流石に自分の家でそれは嫌なので、便器を小さくしたり、タンクレスにしたり、といろいろ考え直すことになった。

その他の部分は、それほど問題はなかったらしい。リフォームの終了までまだ2ヶ月以上もある。家全体が新しくなるのは少し楽しみである。

2025年10月2日木曜日

授業と会議。戻ってきた日常

 すぐに日常は戻ってくる。今日は授業前に1つと午後に1つ。どちらも重要な会議だった。また、今セメスター最初の授業はゼミ。留学から帰ってきたゼミ生にエピソードを話させてから、4回生・3回生に夏休み中の卒論準備の進捗状況を聞いていく。予想通り、それほど進んでいない。まぁ、それは自分を顧みてもお互い様なのでなんとも言えない。

その後、3回生がこのセメスターにするべきことを詳細に説明して、4回生の発表スケジュールを決めて今日の授業は終了。途中、話していると咳が止まらなくなる瞬間があった。まだ体調がどうも優れない。

今年の僕の時間割では月曜火曜に授業の大半が配置されているので、今日は本当に試運転という感じ。明日からの3日間で、授業の予習と自分の研究のための時間配分のサイクルを確立せねばならない。

2025年9月30日火曜日

Re: partenza

 10月1日。大学は今日から新しいセメスターが始まる。気持ちを入れ替えて、緊張感を持って授業に学務に、研究に臨んでいきたい。Forza!

とはいっても、水曜日は授業はなく、今日は会議もなかった。まだ風邪が完全には治りきっていないこともあって、今日は終日家にいた。

Xでは学振の採択率が10%程度に落ちたことについて否定的な声が多数上がっていた。科研費もそうだが、研究助成金を獲得するための書類を制作する労力・時間に比して採択率が低すぎることは、やはり研究者にとっては辛い。勿論一方で、書類を書くだけで年間数百万から数千万もの助成を、それも税金の中からいただくわけなので厳しくて当然という声があることも承知している。

私自身、大学院生の頃は、実は学振に応募したことがない。恥を忍んで言えば、当時その存在を詳細には知らなかった。指導教官が理事長を務める財団法人の語学学校でイタリア語を教えたり、雑務を行ったりという「バイト」に明け暮れていた。今にして思えば、博士課程の大切な時期に研究をほとんどしていなかったことに後悔もあるが、おかげさまで当時金銭的に困ることはまったくなかったことも事実だ。当時イタリアブームが来ていたこともあり、博士課程に在学しながら、いくつかの大学では非常勤を担当させていただいていたし、上記の語学学校でほぼ毎日働いていたこともあって、就職した同期の学生に負けないほどの給料はあったと思う。

大学院生を育てる立場になり、私の学振体験の欠如はかなりマイナスなのは確かである。時代や研究環境の違いを理解した上でしっかり支援していかなければならないし、優秀な博士人材育成のためにも、金銭的な助成の増加を願うところである。

夏休み最後の日

 ほとんど1ヶ月更新が途絶えてしまっていた。生来が面倒くさがりなので危惧していたが、しばらく書かないと、次に書くのが億劫になってしまう。

前に書いたのがリフォームのために京都のマンションの荷物を全部運び出した日。もう過ぎてしまったことだし、その時に感じた気持ちとかは思い出せないので、スマホの手帳を見ながら、この間に印象に残ったことだけ箇条書きで。本当はそれも面倒だけど、また明日からは書こうと思っているので、ケジメとして。

9月5日(金)執行部の先生方と職員とで暑気払い。南千里の公園の中にあるイタリアン、雰囲気が良かった。職員の皆さんと親しくするのは本当に大切。お世話になります。

9月12日(金)午後は数年ぶりに参加するFD。大学が置かれている状況と国際卓越研究大学に採択された後の変化についてのお話。知っておかなければならないし、適応しなければならない。分科会はここ1、2年、最も気になっている生成AIについて。使用を前提とした教育と評価といった問題は我々教員側に突きつけられている。

9月19日(金)家族で万博へ。僕自身は3回目。案内してくれた方が家族3人の写真を何枚か撮ってくれた。考えてみれば、僕が今の息子の年齢くらいに、父母と撮った写真が残っているだろうか。そう思うと大切な時間だったと思うし、まだ僕たちに付き合ってくれている息子には感謝しなければ。今回もいろいろなパビリオンを訪れることができました。

9月21日(日)9月の前半にずっと取り組んでいた原稿を提出。図版の許諾申請など面倒なことはまだ残っているけど、ひと段落。調べていて楽しく、今後の研究の方向性にも関わってきそうな素敵な機会だった。

9月23日(祝)中3日でまた万博へ。今日は学生をエミリア・ロマーニャ州のイベントに連れて行った。もう25年ほど前、僕が留学中にお世話になった方が講演に来られていて嬉しい再会。

9月27日(土)久しぶりに研究会に参加していたのだが、途中で寒気と喉の痛みに襲われる。病院には行かなかったので、インフルだったかコロナだったかはわからないが、風邪にしてはひどく、2日半はずっとベッドにいた。久しぶりにしんどかった。

さぁ、明日からは新学期! 秋冬学期は学会や卒論、入試などの業務もあり忙しいけど、2ヶ月弱休んで英気を養った(はずな)ので頑張ろう!

2025年9月4日木曜日

空っぽ

 午前11時。パンダマークの引越社の人が引き上げていくと、空っぽになり、当然のことながらクーラーもないのでうっすらと汗を浮かべた家族3人だけがマンションに残された。普通、家具がすべてなくなると、部屋が意外に広かったように感じると思うのだが、そういう感じはしない。もともとあまり広くなかったんだ、という感慨にふける。

昨日は1日中、残っていたものを捨てたり、捨てたり、箱に入れたり、やっぱり箱から取り出して捨てたりしていた。断捨離には思い切りが必要だが、それでも優柔不断さが部屋のあちこちに積みあがっていた。

引っ越し業者の力強さと体力、そして手際の良さには感嘆してしまう。つくづく自分が強靭な雄でなことを思い知らされてしまう。人間をしていなかったら、すぐに淘汰されていた個体だろう。

荷物のすべては、妻の実家とレンタルしたガレージへと運ばれていった。それらが京都のマンションに戻ってくるのは年明けになる。戻ってきても2度と使われないものも結構あるかもしれない。それでも今回は捨てられなかった、捨てたくなかった思いは尊重するしかない。

2025年9月2日火曜日

学生アンケート

 今日は大学内でのアンケートを所掌する部署の先生が来られて、学生アンケートに関する意見交換を行った。学部でも授業評価アンケートや学生生活アンケートを実施しているが、それとは別に「学生ライフサイクルサポートセンター」が実施する入学時・在学時・卒業時のアンケートもある。いずれも、まず問題になるのは回答率である。これが上がってこないことには、肝心のデータも有効に活用することができない。かといって、アンケートの回答者に何かインセンティブを与えるといったようなことも予算の関係でできない。そうなると、学生への丁寧なフィードバックと学生の意見に耳を傾けた改善で応えていくしかない、という至極まっとうな、でも効果が疑問視されることしか言えなかったりする。難しいな。

午後は早めに大学を出て、京都のマンションに。いよいよ明後日、家財道具をすべて引っ越し業者が持っていくが、そのための梱包作業がまだまだ残っている。


2025年9月1日月曜日

防災の日と科研費の憂鬱

 関東大震災から100年余り。今日は防災の日だ。テレビではいざという時に備えての備蓄や持ち出し袋の話をしていた。

我が家でも時折、水を備蓄しておこう、という話が出て2リットルのペットボトルの水を20~30本ほど購入しておくのだが、いつの間にかすべて使い切ってしまう。災害時に持ち出すものについては、正直全然準備していない。

災害はいつ襲ってくるかわからないので、ちゃんと備えておかなければならない。

今日は1日中家にいて、今回の科研費の申請テーマを考えていた。昨年度は不採択だったので、申請書の内容を改めなければならないが、かといって現時点で研究しているテーマや主題はあまり変わっておらず、昨年度の業績もそのテーマに関わるものなので悩ましい。新しいテーマをどう入れて、その意義や重要性をどう示すか、戦略を練らなければならない。

2025年8月31日日曜日

8月31日

 今日で8月も終わり。夏休みの終わりを告げるニュースや24時間テレビのサライが気持ちを急き立て焦燥感を覚えるのは、昔から変わらない。大学の授業が始まるにはあと1か月はあるはずなのに。

別に僕に限ったことではないと思うが、小中学校のときは、この最後の1日に夏休みの宿題の大半をやっていた。創作さえする気のない、天気もあっているかわからない絵日記や書きなぐりのドリル。朝顔など学校から持ち帰って数日後には枯れていたのだから成長の過程など書きようもない。不器用すぎて工作などもできなかった。これで成績が悪ければ、本当に問題の多いだらしない生徒だったと思う。

大人になった今でも、締め切りを抱えて、夏が終わろうという象徴的な日に(実際は酷暑で、まだまだ秋の気配など見えないが)焦燥感を覚えている。

2025年8月30日土曜日

結局ガレージを

 今日も終日京都のマンションの整理。今日は義妹にも手伝ってもらった。みんなでおしゃべりしながら、食器をエアマットで包んだり梱包作業を進めていたが、やはり荷物が多すぎる。リフォームを行う4ヶ月弱の間、京都に住んでいた息子も大阪に一緒に住むことを考えると、荷物を置くスペースがやはりどうしても足らないということになった。当初は大阪のマンションと平野に住んでいる義母の家に分散して置くことを想定していたのだが、その2箇所でもスペースが足りなそうだ。

急遽トランクルームを借りようと言うことになり、ネットで探していたが、荷物が全て収納できるほどほど広いスペースは見つからず諦めかけていたが、最後に屋根付きのガレージを見つけることができた。

妻を京都に残して、僕は晩に大阪に帰った。本当に申し訳ないが、原稿と科研費の書類を進めなければならない。

2025年8月29日金曜日

サラヤ留学報告会

 今朝はサラヤ奨学生第3期の留学報告会があった。コロナ禍で内向き思考になっていた本学の学生に、留学支援の奨学金を提供していただいたサラヤ株式会社さまには本当に感謝している。今日も5名もの方にお越しいただいて、留学生の報告を聞いていただいた。

それぞれの留学先はインドが2名、中国、ハンガリー、オーストリア、ウィーンが1名ずつの計6名。それぞれの視点から、それぞれの国の文化や生活を話してもらった。

締めの挨拶の時にも話したことだが、旅行ではなく「生活」することが大きな自信になる。見た景色や嗅いだ匂い、会話の一場面、通った店での歓迎ぶりや、文化を知らなくて失敗した経験。それらは、その後の人生においてフラッシュバックするように何度も思い返されることになる。自分を構成する一部分となる。

今日は短い時間の報告であったが、帰国してあまり時間が経たないうちに意識的に振り返ることができたことも有益だったと思う。

2025年8月28日木曜日

結婚記念日

 今日は23回目の結婚記念日。23年前の下鴨神社は小雨が降っていて、とても蒸し暑かった記憶がある。もちろん今年ほどではないんだろうけれど。

今日は昼過ぎに妻と京都に向かう。今日からしばらくはまた京都でリフォームのための荷物の梱包など。20年以上も住んでいたマンションを空っぽにするのは難しい。書籍類や大型の荷物はほとんど片付けて、目に見えて物は減っていたはずなのに、押入れやクローゼットのなか、部屋の隅に積み重ねられた書類や、食器棚の食器や置き物など、仕分けして捨てるものと持っていくものを整理し始めると、意外に時間を取られ、まだまだ終わりが見えないことに改めて気付かされる。

晩は息子も連れて3人で行きつけのイタリアンに。「行きつけの」と書いてしまったが、大阪に引っ越してからはあまり行けてなかったので久しぶりだった。いつもと同じように南イタリアの美味しい食事と美味しいワインで上機嫌になった。

妻へ、これからもよろしくお願いね。

2025年8月26日火曜日

1週間ぶりの大阪、そしてリスタート!

 来月初旬のリフォームのための準備にひと段落ついたことから(まだまだしなければいけないことは残っているが、大物はだいぶ片付いたので)、1週間ぶりに大阪の家に帰ってきた。明日は大学に行く用事もあるし、何より、京都にいる間にかなりペースが落ちた9月末締め切りの原稿の執筆を加速していかなければならないし、その合間で1週間ほど時間をとって科研費申請の書類も書かなければいけない。

今年の夏はどこにも旅行に行けそうにないけど頑張りましょう!

2025年8月25日月曜日

落ち着きの安楽者

 朝一番に大型ゴミを無事に出して、午前中はゆっくりと過ごし、午後は久しぶりに演劇を見に出かけた。僕が演劇を始めるきっかけを作ってくれて、いろいろお世話にもなった劇団衛星の30周年公演だ。タイトルは「落ち着きの安楽者」。

壮年期も終わりに近づき、人生もそこそこ安定して落ち着いてはいるが、すでに恋愛のプレーヤーから外れていることに焦り、助成金の申請の意味に疑問を覚え、なんとなく希死念慮を持っている劇団代表の話。同年代(劇団衛星の代表は大学の同級生である)であることと、似たような立場にあることで、共感できる部分も多かったが、演劇のある意味醍醐味でもある何か「変なもの」(いい意味で!)を見たという印象も残る素敵な時間だった。

やっぱり観劇の時間は多く取る必要がある。僕の生活や思考に潤いを与えるためにも。

2025年8月24日日曜日

ようやく光が…

 今日は昼から大きな木槌を片手に本棚や洋服ダンスの解体作業。組み立て式の家具は便利ではあるが、組み立て時に木のダボに木工用ボンドで接着をするので解体が大変だ。実際、以前演劇で大工の役を演じた時に購入した本職用の木槌がなければ解体できなかっただろう。

解体されて木材となった本棚や洋服ダンスを大きさを揃えて紐で括る。明日の朝、8時までに、大型ゴミのシールを貼ってマンション前に置いておかなければならない。本棚とタンス合わせて3つ分にプラスティック製の衣装ケース4つに布団3組。大型ゴミを出すためのシール代だけでも8000円近くになった。

あと問題は明日の朝何時から下に運び出しをするかである。2メートル弱ある本棚の側板などは、よほど慎重に運ばないとエレベーターにも乗らないだろうし、僕も息子もどちらかというと不器用で、肉体労働には全く適性がない。余裕を持って2時間くらいかかる計算で、朝5時には起きて始めたほうがいいだろうな。

2025年8月23日土曜日

法事

 ここ数日はずっと不用品の選別と廃棄、必要なものの梱包に明け暮れていたが、今日は義父の法事が大阪の妻の実家で営まれたので行ってきた。

お坊さんを呼んでお経を唱えていただく。浄土真宗のやり方なので、参列者も節をつけて正信偈などを「歌う」。実際にお経本には、漢字の右側と左側に音声記号や指示が書いてある。声を出すことは大好きであるが、どうやら音痴らしい僕はなかなか上手に唱えることができずに、いつも隣で唱えている妻のペースをかき乱してしまうらしい。

念仏を唱え終わり、説教を聞き、それからお坊さんと世間話をして法事は終わった。

それから高校野球の決勝を途中から見て、家族で食事をとり、埃と段ボールだらけの京都の家に戻ってきた。

2025年8月20日水曜日

先が見えない

 昨日から京都のマンションに来ている。先日もこのブログで書いたが、マンションのリフォームに向け、京都のマンションにまだ残してあった僕や息子の書籍類を梱包したり、いらないものを断捨離したりしなければならない。

今日はまず、古いパソコン3台を初期化のうえ、家電量販店に引き取ってもらいに行き、その後、京都市役所の小型家電回収ボックスに昔のデジカメやゲーム機、CD/DVDプレーヤーなどを持って行った。そこまでは順調だった。

だが、午後に入り、本の整理を始めたくらいから、あまりの量に途方にくれ、心が折れそうになった。以前、本のページを延々とめくり続けている悪夢をよく見ていたが、その時と同様先が見えない絶望が追いかけてきた。絶望に追い付かれないように早く走らなければならない。朝ドラで主人公が言っていたセリフが頭に浮かんできた。

これは2、3日では終わらないだろうな。締切をかかえた原稿や科研費の書類もあるのに。

2025年8月19日火曜日

国際卓越研究大学説明会

 今日は朝から大学に。ちょうど1週間前にオープンキャンパスを終えたばかりなのだが、なかなか夏休みをゆっくり取らせてはくれない。

今日は現在申請中の国際卓越研究大学構想の説明会があり、理事の方が説明にこられていて、箕面キャンパスの教職員が質問をさせていただいた。

18歳人口の減少や、現在大学が社会において置かれている状況などを鑑みると、現在の制度ややり方にこだわらず、ここで大きく変革することが必要なことはよく理解できる。大きな理想は常に羅針盤として進むべき道を示してくれるだろう。

問題は僕自身が淀みに打ち捨てられずに、変化の荒波についていけるかどうかだ。

2025年8月17日日曜日

悪夢

 今日は1人で京セラドームに。オリックスー西武の試合を見に行った。我が西武にとって、この3連戦は最低でも勝ち越さないと、CS争いが絶望的になる大事な試合だった。金土を戦って1勝1敗。急遽、応援に行くことに決めたのだった。

途中まで6−0で勝っていた。今までの現地観戦でそれほどの大量リードはなかったので今日は落ち着いて楽しめると思っていた。後ろの席のオリックスファンの口汚い愚痴も全然気にならなかった。

その数時間後、屈辱に塗れて、西武のユニフォームを着たまま大阪メトロ長堀・鶴見緑地線に乗る自分がいた。これまでに観戦したなかでも圧倒的なワーストの試合。6−7、延長12回サヨナラ負けという状況に理解が追いつかず、何も考えたくなかったし、SNS上に散々流れている西武ファン同志のコメントも見たくなかった。

どうして僕がこんな目に遭うんだ。

2025年8月16日土曜日

再びお墓参り

 昨日から妻が京都のマンションに行き、代わりに息子が大阪のマンションに来ている。全面リフォームに向けて、9月初旬までに京都のマンションを一度空っぽにしなければいけない。そのために、僕と妻とで交互に食器類や日用雑貨、そして書籍類の整理をしに京都に行くことになった。まずは、大量の本や書籍の荷造りに取り掛かる前に、それ以外のものを妻が梱包することになったのである。

息子と2人の生活。基本的には、互いに自分のスペースで勉強したり、スマホを見ていたり、それほど接点はない。食事は基本息子が作り、掃除や洗濯などは僕という分担。

今日は2日前に息子が墓参りに行けていなかったこともあり、再び四天王寺夕陽ヶ丘近くの義父の墓参りに。息子は墓前でかなり長い時間、目を瞑り手を合わせていた。

その後、お昼にラーメンを食べて帰ってきた。


2025年8月15日金曜日

80

 終戦記念日。戦後80年ということもあり、今年はテレビでもいくつかの特集番組が組まれている。金曜ロードショーで終戦記念日に『火垂るの墓』を放映するのは初めてのことらしい。

8月9日にヒーローインタビューに立った僕の贔屓チームの長崎県出身の選手が「今日は長崎県民にとって、そして日本国民にとって特別な1日です。平和について考えてみてください」といっていたのを思い出す。

現在進行形で複数の紛争が発生しており、僕には本当の意味ではわからないけれど、「きな臭さ」が漂ってきていることは理解できる。政治も経済も社会も悪い方向に向かっているという直観めいたものはあるけれど、それに対して自分が何かしているわけではない。

もっと考えなければならない。そしてきっと動かなければならない。

2025年8月14日木曜日

お墓参り

 今日は義母と義妹も一緒に4人で墓参りに出かけた。四天王寺夕陽ヶ丘の駅を降りてすぐのお寺に義父の墓がある。

お墓参りのイメージはいつも炎天下。遮るものが何もない空間で真上から太陽が照りつけてくる。墓前にお茶とシャインマスカットをお供えしながら、お墓の中も暑いだろうな、などと考えてしまう。

いつものように家族の健康と家庭の安寧を見守っていてくれるようにお祈りする。

帰りにみんなで上六の蕎麦屋で昼食をとった。

2025年8月12日火曜日

かき氷(2回目)

 今日は午後に妻と天王寺へ買い物に。お盆を迎えたこともあり品揃えを心配していたが、産直市場ではたくさん野菜を買うことができた。この世に帰ってくる先祖のために、きゅうりを買うことはなかったが、彼岸への旅立ち用に(というわけではもちろんないが)ナスは買った。

あまりにも暑かったので、帰りに1つ前のバス停で降りてかき氷屋へ。僕たちの他にお客さんは小さい子どもを連れた母親のみ。お店のおばあさんと、その子ども(常連の親子なのだろう)とのやりとりが微笑ましかった。

妻は苺ミルクのかき氷を、僕は抹茶金時のかき氷を食べた。身体を内側から冷やすことができた。



オープンキャンパス

 今日はオープンキャンパスであった。イタリア語専攻の教員と学生が一体となって、訪れた高校生やその保護者にイタリアの魅力を伝えることができたと思う。

イタリアにすでに帰国していた同僚には、朝早いビーチからイタリアのバカンスについて、まさに実況中継してもらったし、もう1人のイタリア人講師は、たまたま来日していた親戚をイタリア語のミニ会話レッスンに巻き込んで、場を大いに盛り上げてくれた。そして日本人の同僚がイタリア語の文法的特徴について、やはりミニ講義を行ったほか、在学生2名が大学での学生生活や留学体験について話してくれた。

その後の質疑応答でも多くの方が質問してくださり盛況であった。

今日来ていただいた方の中から、来年、あるいは2年後に再び教室で会える学生がいればいいな。心からそう思う。

2025年8月11日月曜日

フードコートで食事

 お昼前に大阪のマンションに戻って、午後はレポートの採点と明日のオープンキャンパスの準備をしていた。昨日の17時をレポート課題の締め切りにしていたので、今週前半はレポート課題の採点に明け暮れることになりそう。なるべく早く済ませて、自分の勉強に集中したいのだけど、それでも学生が書いたレポートを読むことはそれなりに楽しい。

夕方、京都に帰る息子を見送りがてら、近くのキューズモール通りかかったときに、息子がそこのフードコートに行ったことがないというので(ちなみに僕と妻は何度も行ったことがある)、そこで夕食を食べることになった。息子は石焼ビビンパ、妻はスンドゥプチゲといずれも韓国料理の店から選んでいたが、僕は長崎ちゃんぽんと餃子のセットを食べた。

息子も大きくなり、こうして家族3人で外食することも少なくなったので、フードコートとはいえ貴重な機会である。

2025年8月10日日曜日

本の整理と洋服ダンスの解体

 今日も夕方に京都へ。昨日に引き続き、リフォームに備えて荷物の整理。

愛着を断ち切れないことと、それと面倒臭さもあって、なかなか物を捨てられない僕ではあるが、いつか部屋の押し入れに入れて、それ以来開くことのなかった段ボールの中身などを大量に断捨離した。

それから洋服ダンスの解体。明日の朝に大型ゴミとして持って行ってもらうのであるが、そのままではエレベーターに乗るか微妙だし、運びにくいということで解体した。数多くある苦手分野の一つである。

それにしても、まだ僕の部屋にも、その他の部屋にも物が溢れている。来月初旬の荷物の発送までに整理が間に合うのかどうか心配になってきた。僕自身、色々な締め切りを抱えており、そう頻繁に京都には行けないのだが。どうしよう。

2025年8月9日土曜日

25年前の写真

 今日は朝から京都のマンションでリフォームのための荷造り&断捨離。3年前大阪のマンションに移ってくる際に、必要なものは運び出したはずなのに、まだまだ京都の僕の部屋には物が溢れていて、これをあと1ヶ月で空っぽにしなければならないかと思うと途方に暮れる。歴代のパソコンなど、前もって業者に引き取ってもらっていれば良かったものなど、クローゼットの中から色々な物が出てくる。

そのなかに約25年前、2年ほど留学していたときに、使い捨てカメラで撮り現像しておいた大量の写真が見つかり、数時間見入ってしまった。今の息子と数歳しか違わない、まだ髪の毛が残っていた時の僕の姿。イタリアで浮かれている写真には多くの瞬間が切り取られていて、その時の気持ちが鮮明に蘇る写真もあれば、名前すら思い出せない多くの人たちも写っていた。家族にも今まで見せたことがなかった。息子はそれらの写真をどう見たのだろう。気になる。


2025年8月7日木曜日

立秋

 朝のニュースで今日は立秋と伝えていた。暦の上ではもう秋… とか聞いていしまうと、こんなに暑いのに… とあきれてしまったり、まだ夏休みにも入っていないのに… と焦ってしまう。

折しも、大学へ向かう朝は雨が降っていた。天気予報でもこの先1週間は天気が下り坂だと言っていた。少し気温が下がればいいと思う一方で、いやいやまだ夏(休み)が終わっては困る、とも思う。

実家の鹿児島は線状降水帯が発生していて大雨のようだ。明日くらいに電話をかけてみよう。


2025年8月6日水曜日

La bella estate

 今朝はテアトル梅田へ。チェーザレ・パヴェーゼ原作の『美しい夏』が映画化されて、今月から封切られているのだ。

パヴェーゼの作品は難解で神秘的で、魅力にあふれている。もっと近づきたいと思うのに、どこかで拒否されているように感じることがある。勿論、私自身の資質によるのだろうが。

ラウラ・ルケッティによるジューリアとアメーリアの描写は丁寧かつ繊細で、小説を読んだ時にはつかみかねていた心情などもより理解できるような気がした。ロケーションや時代背景、そして夏の美しさも含めて、パヴェーゼが描きたかったもの(私がどこまで近づけているかは心もとないところだが)が十分に表現されているように感じた。

それにしてもアメーリア役のディーヴァ・カッセルがモニカ・ベルッチの娘であることには驚いた。

2025年8月5日火曜日

難しい基準

 教員として恐らくもっとも腹立たしい瞬間の一つに不正行為発見のそれがあるだろう。理由はいくつかある。自分が授業中に教えた内容を復習を通して消化していないのに安易に高評価を得ようという姿勢や、自分(や教えている内容)が軽んじられているという意識、そして正直に言えば、見つけちゃったよ、あーあ面倒なことになるなぁ、という気持ちもある。

ただ、今日、学務係を通して私のもとに届いた案件は、担当教員の憤慨とは裏腹に、第三者の視点で見ると状況証拠しかなく、不正行為を認定するのは非常に困難だと思われるもの。オンラインによる試験という形式自体の問題もあり、悩ましい限りである。

「疑わしきは罰せず」ではないが、状況証拠だけで学生に事情聴取することはできない。学務係にはそう私の考えを伝えたが、当該の先生が納得していただけるといいのだが。

2025年8月4日月曜日

Finalmente!

 やっと前期の授業が終了した。月曜日は祝日が多かったことや、全学の会議のために休講にした授業もあり、ようやく今日で補講も含めてすべて終えることができた。

小中高校とくらべて、今や大学が一番夏休みに入る時期が遅いのではないか。私が学生の頃は7月の初めくらいで前期の授業が実質終わっていた気がするなぁ、と遠い目をしてしまう。

とはいえ、今週は会議がいくつも残っており、実質的には来週火曜日のオープンキャンパスを終えて初めて夏休み!

あと1週間頑張りましょう!

2025年8月3日日曜日

咲耶会幹事会

 今日の午後は、旧大阪外国語大学の同窓会組織「咲耶会」の幹事会があった。大阪大学と統合し、大阪大学外国語学部となった今でも、咲耶会は存続し、現役の学生を支え続けていただいている。本当にありがたい話である。

私自身は大阪外国語大学の卒業生でも大阪大学外国語学部の卒業生でもないのだが、今年度副学部長を務めている関係もあり、役員の1人として参加させていただいた。

咲耶会にとって(多くの他大学の同窓会組織も同様であると思うが)、喫緊の課題は入会者の減少とそれに伴う財政難である。入会金の高さや同窓会というものに対する学生の関心の低下など、原因はいろいろ分析できるものの、それに対してなかなか効果的な対策が打てずにいる現状だ。今日の幹事会でも異なる意見が時にぶつかることもあった。それぞれに母校を愛するが故の強い言葉であることがわかるだけに、教員としてもなんとか現役の学生と同窓会とを繋げたらと思う。

2025年8月2日土曜日

大学院入試

 今日は夏期大学院入試だった。嬉しいことにイタリア語専攻にも1人進学希望の学生がいた。文学作品に現れるシチリア方言を研究したいという。僕の研究とも重なるところがあるので、しっかり頑張ってもらいたい。


2025年7月31日木曜日

回転木馬

 前期の授業も大体明日で終わるということで、今日は同僚たちと院生と打ち上げに行った。最近中崎町にオープンしたばかりのイタリアン。

スプマンテのボトルから始めた。冷たい炭酸が気持ち良い。その後も前菜にパスタ3種、リゾットにピッツァも3種(うち2つはいわゆる揚げピザで、重量感があったが美味しかった)、メインにはフォアグラと牛フィレのロッシーニ風を食べて、デザートとエスプレッソ。正直、このブログを書いている今、胃が重たい。




2025年7月29日火曜日

採用人事の試験官

 今日は1、2限の授業を終えて淀屋橋へ。今日の午後と明日は終日、イタリア文化会館のスタッフ採用のための試験官を務めることになっていた。

今日の僕の任務はイタリア語から日本語に翻訳した試験の採点だった。詳細は言うことはできないが、イタリア外務省の出先期間だけあって、試験は一切不正の余地が入り込めないように厳密に行われる。この業務を行うたびにその厳密さには驚いてしまう。

夕方は急いで京セラドームへ。西武の連敗を僕の応援の力で止めてきた。

2025年7月28日月曜日

学問への扉

 今日で1年生向けの基礎ゼミ「学問への扉」の授業を無事終えることができた。新入生を学部横断で分け、大学での学問の基礎を教えるという授業で、僕は今年から3年間担当することになっていた。初めて担当する授業であるということ、そして理系の学生も含めて様々な学部の学生がいることもあり、手探りではあったが楽しい授業だった。

トピックとしてはイタリアの社会や文化的事象を扱ったが、僕が講義する部分は一部にとどめて、あとは反転学習的にそのトピックに関連することを調べてきてもらったり、トピックから展開したテーマについて討論したりした。学部の授業ではイタリアのことを理解してもらうことが主眼となるが、この授業ではイタリアはあくまでもトピック。主眼は調査の方法論の提示や、発表に対する批評、そして自分の言葉でのディスカッションだ。

どこまでうまくいったかはわからないが、少しでも新入生の学問への扉を開けたとしたら、とても嬉しい。課題レポートの締め切りを楽しみに待つことにしよう。

2025年7月27日日曜日

終日家で仕事

 今日は僕も所属している研究会の例会があったのだが、先週の週末も来週の週末も仕事で、現状自分が抱えている仕事の量を考えて、今日は欠席してしまった。例会が始まる頃合いになると、やっぱり行けばよかったかなぁという思いがよぎったが、我慢して部局の書類書きを進めた。

授業は大体あと1週間! 再来週にも若干補講が残っているけど。心置きなく今進めている研究に入るためにも、試験の採点から成績付けまでをテキパキと進めていかなければ。今週は頑張りどころだ。

2025年7月26日土曜日

久しぶりに妻と居酒屋

 今日は午後に天王寺に買い物に行った。最近妻は「てんしば」内の産地直送の販売店が気に入っているようだ。野菜もお肉も新鮮かつ美味しいという。これには僕も同意見だ。

今日も荷物持ちとして一緒に行ったが、買い物後暑さに耐えきれず、何か冷たいものでも食べようかと思い、天王寺の地下街へ入った。最初はかき氷かメロンソーダと思っていたが、ビールが飲みたくなって16時過ぎくらいであったが、居酒屋に入ってしまった。

以前はこういうことがよくあった気がするが、最近は何の予定もなしにふらっと居酒屋に入ってなかったのでちょっと嬉しかった。

2025年7月25日金曜日

遠くの花火と裏返しのドローンショー

 昨日、京都では祇園祭の後祭の巡行が終わったところであるが、大阪では今日は天神祭だった。毎年6月くらいから、同僚のスペイン語の先生の研究室の扉にポスターが貼られている(なにか祭りに携わっているのだろうか)。以前は天満橋まで船渡御を見に行ったこともあったが、今日は近くの難波宮跡公園の少し高くなった大極殿跡で花火を見ることにした。

夕方の青がだんだんと濃くなっていく時間、吹いてくる風は心地よく、人もまばらななかに僕と妻は座っていた。19時30分、花火が立て続けに打ち上げられる音が聞こえてくる。大阪城公園の木々に視界が少し遮られるために、低い位置までしか上がらない花火は見られない。打ち上げ音の響きに対して、丸く完全な形で見られる花火は全体の3割といったところだろうか。それでも、いやそれだからこそ、高くまで上がり花火が見えると歓声を上げたくなる。

今年は花火の途中でドローンショーもあった。万博を宣伝するミャクミャクや文字などが夜空に浮かび上がる。こちらはその明るい輪郭がくっきり目に映った。だが、ドローンが描き出す図柄や文字は、難波宮からでは鏡文字のように反転して見えた。1つ1つの図柄や文字は花火より長い時間空に浮かんでいたが、すぐに消えてしまう花火の方にやはり心を惹かれた。




2025年7月24日木曜日

木曜日だけど月曜日

 今日は木曜日だけど月曜日の時間割という変則日だった。ハッピーマンデーが導入されて以降、祝日の多くが月曜日になったことで、授業を祝日に行わない弊学では月曜日の授業時間が不足してしまう。それで、年に数回、他の曜日に月曜日分の時間割をすることになる。

これが僕を含めて、誰にとっても評判がすこぶる悪い。そりゃそうだと思う。非常勤の先生などは曜日が変わると来校が無理になるし、学生だってバイトのシフトを変えなければいけないだろう。

もともとハッピーマンデー(そういうわけで誰にとってもアンハッピーなのだが)は祝日を月曜日にずらすことで土曜からの3連休を作り、旅行などを促進し、経済を回していこうという取り組みだったと記憶している。そのせいで、例えば体育の日や海の日に生まれた子どもが、その祝日にちなんだ名前をつけられていたのに、祝日が移動になってアイデンティティが揺らいでしまう!なんて例も聞いたことがある。

というわけで、今日は月曜日の授業3コマ分を行ったのだが、空き時間には会議が一つ入って忙しかった。ある高校から、生徒を大学に連れてくるので模擬授業やキャンパス案内をしてほしいという案件。校長先生の情熱はわかったが、なかなか実現が難しそう。どうしようかな。

2025年7月23日水曜日

モンゴル料理が食べたかったのに

 授業も会議もない貴重な水曜日。ただ、夕方から同僚の先生何人かとモンゴル料理を食べる予定が入っていた。久しぶりの食事会ということで楽しみにしていたのだが、言い出しっぺの先生が体調を崩してしまい、またリスケジュールということになった。残念!

ということで今日は一日中家にいて、クーラーの効いた部屋で勉強したり、スマホをつい見てしまったり、読書をしたり、スマホをつい見てしまったり、スマホをつい見てしまったりしていた。

昨年不採択であった科研の申請書を学内の科研相談窓口に提出していたのが、助言と共に返ってきた。指摘の内容はどれも首肯できるものだったが、もう少し裏技的なアドバイスも欲しかった。まぁそんなのはないだろうから、今年も悶絶しながら格闘しなければならない。

2025年7月22日火曜日

普通の火曜日

 昨日が祝日だったので、今週の授業は火曜日から。なんとなく違和感があるが、いつも通り授業をこなす。学期末が近づいているので、授業評価アンケートを実施したり、試験やレポート課題の日程などを知らせたりといったイレギュラーな部分はあるが、大きな枠組みとしてはそれ自体もいつも通りだ。

夜になってこうしてブログに書けそうなことを探そうとしても、なかなか見当たらない。本当は、日常のささやかな発見やふと感じたことなどを徒然に書くというのがコンセプトのはずなのだが、なかなかうまくいかない日もある。

2025年7月21日月曜日

キッチンと床

 祝日の今日は午後から梅田のショールームに妻と妻の妹と一緒に出かけた。先月から続く、京都のマンションのリフォームのためのショールーム行脚である。

今日は2つのメーカーのショールームを回り、特にキッチンと床を見て回った。僕などは例えば浄水器の蛇口のスタイリッシュな形やキッチンの収納部分の色などにしか、せいぜい目が向かないが、女性2人はシンクの使い勝手やシンクとコンロの間の作業スペースの広さ、シンク下の収納の使い勝手など、いろいろチェックしていた。さらにはキッチンの素材、シンクを人造大理石にするかあるいはステンレスにするかとか、蛇口の形状や水の出方をどうするかなど、決めなければいけないことがたくさんあるようだ。1つのメーカーのショールームで数時間かけてキッチンのあらゆる箇所の製品を事細かく決めたはずなのに、次のメーカーのショールームでもほとんど同じ工程を繰り返す。いくつものメーカーで製品の組み合わせを決めて見積もりを出させ、その中から費用と好みのバランスを見ながら購入するメーカーを選ぶらしい。

最初のうちは興味深く、さまざまな製品を見たり、タイルや板材の表面を触って遊んでいたものの、途中で完全に飽きてしまった。リフォームってこだわり始めると奥が深いなぁ。

2025年7月20日日曜日

愛と友好と平和の鐘

 投票に行った帰り、近所の大阪高松カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック玉造教会)に立ち寄った。お目当ては表面にイタリアと日本が彫られた鐘🔔。先日まで大阪・関西万博のイタリア館に展示されていたものだ。モリーゼ州ウィークが終わり、今後はこの玉造教会に置かれることになる。

青空に眩しい銀色が光るなか、先日のコンクラーベにも参加していた前田枢機卿が鐘を鳴らした。鐘の色から勝手にもう少し高い音の響きを予想していたが、意外に音は低くイタリアの街で聞いたことのある音色だった。

選挙の大勢が判明してきた。今回の争点の1つには外国人の存在があったことは確かだろう。僕自身、イタリアの社会状況を説明する講義やゼミにおいては、欧州における移民の流入や社会への同化、共生の問題を取り上げてきたので、今回の選挙結果が明示する国民の懸念や漠然とした不安は理解することはできる。

ただ、海外で暮らした経験がある人間として、外国語学部で教壇に立つ人間として、大阪に渡ってきたこの鐘が象徴する友好と平和の理念を大切にしていきたいと思う。



2025年7月19日土曜日

出会いが紡ぐ音と色の物語

 今日は午後からは大学でのイベント「出会いが紡ぐ音と色の物語」に参加した。「さまざまな視点で世界を見る」と題して、外国語学部での教育や研究を一般の方に紹介する企画の第3回目、今回はハンガリー編であった。

美しい伝統刺繍に携わっている卒業生の講演に始まり、同じく各分野で活躍する卒業生を集めた座談会の後、ハンガリー出身のクラリネット奏者によるトーク&コンサートと続き、そのあとは、ハンガリーの食事と箕面ビールを楽しみながら、ハンガリーの伝統楽器チテラの演奏や民族舞踊のパフォーマンスを楽しんだ。

鮮やかな刺繍の色彩とクラリネットやチテラが奏でる美しくも情趣に富む音色。夕方の野外には気持ちの良い風も流れており、本当に素晴らしい物語を体験した。



2025年7月18日金曜日

ウェルビーイング

 3回目の大阪・関西万博。今日は協定校でもあるシエナ外国人大学の先生方が万博会場で行ったワークショップ "Il benessere italiano. Parole, storie e spazi che curano"(イタリアのウェルビーイング。言葉、物語と癒しの空間)に学生たちと一緒に参加した。

内容はイタリア語を学ぶことで扉を開くことができた作家ジュンパ・ラヒリの話や俳優/映画監督のロベルト・ベニーニの幸せを探し続けることの重要性についての講演、San Cascianoの聖なる泉を訪れたセネカの手紙からアンドレア・ボチェッリの歌詞まで多岐に渡り、それだけでも心を豊かに、穏やかにする素晴らしいものでしたが、それに加えて、実際にイタリア語を朗読することや聴くことのヒーリング的な音響効果も実感でき、Benessereの観点から語学を教育することの重要性も学びました。

ワークショップの前後はめいめい自由に万博を楽しんでくれたことと思う。僕は、今日はマレーシア、ルクセンブルク、ハンガリー、UAE、ベトナムなどのパビリオンを訪れることができた。



2025年7月17日木曜日

お祝い🎂

 今日は朝イチの大学院の入試問題点検から始まって、入試委員会や将来の入試制度を検討するワーキンググループの会合など、夕方まで隙間なく予定が詰まっていたが、昼休み同僚の誕生祝いをささやかに行なった。

先月、僕の誕生日の際にサプライズでケーキを用意していてくれたことのお返しと日頃の感謝を少しでも伝えたいと思った。先月の僕の誕生日の時に、おそらく大学の近くのケーキ屋で購入してくれていたと思うので、同じ店のケーキだとつまらないということで、妻にわがままを言い、自宅の近所のケーキ屋で注文し、今日のお昼休みに合わせて持ってきてもらった。

僕より3つ年下だけど、学科の運営では頼り切ってしまっている。いつもありがとう!

ちなみに、彼の本当の誕生日は今週の土曜日だけど、学科の教員全員集まるのは木曜日だけなので今日お祝いしました。



2025年7月16日水曜日

同時通訳

 職業柄、イタリア関係のレセプションや会議に出席することが多くあり、その際にイタリア語から日本語、あるいは日本語からイタリア語へ逐次通訳をしている方の活動を見る機会も多くある。

僕自身、イタリア語を聞いて内容を理解できるので通訳の巧拙についてはある程度評価できる…と思う。だが、じゃあ自分が逐次通訳できるかと言われれば、とてもできない。記憶力と同時に瞬発力も必要だと思うし、話し手と聴衆との関係性や、聴衆側が持つ文化や常識なども踏まえた上で、適切に言語化できる自信などない。

ましてや同時通訳となると、通訳者の頭の構造はどうなっているんだろうと驚嘆するばかりである。

今日、大学に通訳を養成するスクールの方がお見えになられて、大学での講座の可能性についてお話しさせていただいた。とりあえず今年度に関しては、数回程度のトライアルから始めようと思っているが、将来外国語学部生の中から逐語通訳者や同時通訳者が輩出できれば素晴らしいと思う。もちろんそこまでいかなくても、外国語学部を卒業する学生が、社会に出てその語学能力を期待される場面は多々あると思われる。

授業をしていても、本当に僕なんかよりはるかに耳のいい学生と出会うことがある。そういう学生には是非、複数の言語を自由に操れる人になってもらいたい。

2025年7月15日火曜日

ポケモン?「うむん」と「からかう」

 今日の午前中は1、2限とも授業で終了後研究室に帰ると1通のメールが届いていた。4限目マンツーマンで授業をしている大学院生から体調不良で欠席するとの連絡。これで午後の授業がなくなったので、自宅に帰ることにする。

妻に電話をかけると、お昼ご飯を食べて梅田に集合と言われた。京都のマンションのリフォームに向けてショールームに行きたいという。たまには僕も行ってみたいと思い、梅田でカレーを食べて妻と合流。今日は床材や壁材を主に見て回った。質感や肌触り、色彩や模様、本当に多種多様で選び甲斐がある。いつもレストランでメニューに迷う僕を優柔不断呼ばわりしている妻も、ここではじっくりと吟味している。そう、選ぶことは正義なのだ。

火曜日の晩は、ここのところドラマ『舟を編む』を見ている。今日の脚本は僕的には完璧だった、と思う。

2025年7月14日月曜日

 今朝は妻と一緒に朝の6時前に家を出た。京都まで行って、長刀鉾のちまきの授与の列に並ぶためだ。いくらなんでも早すぎるのでは、と思っていたが、四条烏丸に着いた時にはすでに数十人が並んでいた。

大阪に引っ越ししてきて数年が経つが、京都にはまだ家が残っており、現在は息子が一人で住んでいる。長刀鉾の粽をいただくようになってもう20年くらいになるので、大阪に引っ越ししたとはいえ、今のマンションの鬼門の位置にもちゃんと粽を供えている。

今頃、京都の街は宵々々山のはずだ。屋台が出ない今日は人も少なく、鉾や山を見て回るのには最適だろう。大阪の家に帰ってきながら祭りの景色に想いを馳せている。




2025年7月13日日曜日

ブルーインパルス


 昨日今日と週末は自宅でゆっくり自分のことをすることができた。アラビア語のオンライン授業に、明日からの予習、9月末が締め切りの原稿の準備。

取り立ててどこにも外出することはなかったが、今日の午後に少しだけ妻と難波宮まで出かけた。青い空にたなびく5本の白い雲を見に出かけたのだ。

正直に言えば、外に出ると汗が滲むし、僕自身はそれほど乗り気ではなかったのだが、難波宮は人でいっぱいだった。本格的なカメラを持った人から、スマホを構えた家族連れまで。

それらは音と共に南から現れ、あっという間に大阪城の左側を抜けていった。その動きを追っていたスマホは、途中で画角に入ってきた太陽に目をくらませながらも、最後まで5体の飛行機の一糸乱れぬ動きを捉えていた。







2025年7月11日金曜日

高校生のキャンパス訪問と総長・理事部局ヒアリング

 今日は忙しい1日だった。我ながらよく頑張った!

授業のない金曜日であったが、午前中は大阪府下のある高校の2年生が22名キャンパスを見学に来て、彼らの前で50分ほど模擬授業を行った。テーマは2つ。最初に「機械翻訳や生成AIの時代になぜ大学で外国語を学ぶのか」について20分ほど話し、後半は「イタリア語の言語的特徴と魅力」について、発音や音節の話から始めて、名詞の性と動詞の活用の話をした。かなりテンション高めに話したので、空回りしていなければいいと思ったが、質問がいくつも出たし、最後に生徒代表が謝辞の中で示してくれた授業の理解度は想像以上に高いもので嬉しかった。

午後は一転、吹田キャンパスに行き、総長や理事に囲まれての部局ヒアリングがあった。事前に、18歳人口の減少に伴う入学定員の話や優秀な教員の採用の話、部局の外部資金獲得の状況とその増加についての方策などを聞かれると予告されていたので、執行部一同緊張していた。大学の中での外国語学部の強みや将来の可能性について、主に学部長の先生がプレゼンをして、その後の質疑の中で僕も何度か発言する機会があった。社学共創、産学連携などの分野は人文学系にとって難しい面もあるが、そうばかり言ってもいられない。しっかり検討せねば。

2025年7月9日水曜日

かき氷はじめとカルヴィーノワークショップ

 遅ればせながら、やっと今日念願の今年初のかき氷を食べた! 先日のブログに書いたように、僕自身はずっと食べたいと思って妻を誘っていたのだが、なかなかタイミングが合わずにいた。今日、京都でカルヴィーノのワークショップに参加する前、午後の3時ごろに大極殿に入った。

今年のかき氷はじめはミントミルク。練乳を少し多めにかけて食べた。甘さとミントの清涼感が美味しかった。また、和菓子屋さんだけあって、白玉もしっかり美味しい。鹿児島生まれで白熊育ちだけにやっぱり夏になるとかき氷を欲してしまう。

その後、北白川に行き、カルヴィーノのワークショップ。移転したイタリア東方学研究所の場所は、昔僕の恩師が住んでいた場所のすぐ近くで懐かしい。

先日、阪大にも来ていただいた先生方も含めて7名の先生方のご発表を拝聴して、イタリア現代文学の代表的な作家であるカルヴィーノについていろいろな観点から学ぶことができた。現在僕が奉職している大阪大学外国語学部の前身にあたる大阪外国語大学時代に教鞭を取られたいたGiorgio Amitrano先生にもご挨拶することができて嬉しい集まりだった。

懐かしいことがもう1つ。ワークショップの打ち上げに行った店が、僕が学生時代よく行っていた百万遍近くの大箱居酒屋だった。僕の前に先輩が座ったこともあって、もう遥か昔の学生時代に戻ったようだった。



2025年7月7日月曜日

蝉時雨

 今朝、難波宮の横の道を最寄り駅へ向かう途中、今年はじめて蝉の声を聞いた。いや、土日はあまり外出していなかったので、本当はもう鳴き始めていたのかもしれないが、僕が聞いたのは今年初めてだった。いよいよ夏本番だ。

と言っても、今年は早々に梅雨も退散し暑い日が続いていた。今日は1限目に箕面キャンパスで授業、午後イチに吹田キャンパスで全学の会議、その後豊中キャンパスに移動して5限目に授業と弊学の3キャンパスをコンプリートする一日だったが、昼間は本当に眩暈がするほど暑かったし、夜になってもまだ湿度を含んだ熱気が感じられた。

七夕の空を見上げる余裕なく、クーラーのなかに帰宅した。

2025年7月6日日曜日

マナー違反

「 機嫌良くいることは大人のマナー」とSNSか何かで読んだことがある。そういう意味では今日の僕の妻に対する態度は明確にマナー違反、あるいはモラハラであったかもしれない。

ここ数週間の忙しさとうだるような暑さ、そして西武ライオンズの成績と小さな、それでいて僕のなかの不快指数を高めるいろいろな要素が積み重なってはいた。引き金はなんて事のない小さなこと。僕が昼食後ソファで寝てしまっており、起きたら妻が冷蔵庫にあったアイスを食べていたのだ。もう何日も前から、日曜日に今年のかき氷初めに行こう!と言っていたのにである。冷蔵庫のアイスを食べている=今日はかき氷を食べに行くつもりはないんだ、と判断した僕は無性に悲しくなって、その後今に至るまで元気なく振舞っている。

我ながら器の小ささに驚くが、晩にかき氷を食べに出掛ける可能性がほぼないことを考えると、今年のかき氷初めは必然的に来週末になってしまう。遠いなぁ。


2025年7月5日土曜日

予言

 巷間では今日の午前中に日本で大災害が起こると噂されていた。僕自身もSNSなどでその話は知っていた。勿論はなから信じてはいなかったが、家族全員一緒にいた方がいいかな、くらいは考えていた。

僕たちの世代はこの手の噂については免疫ができている。誰もが1999年の7の月に地球は滅亡すると信じていた。僕自身も小さいころにノストラダムスの大予言のことを聞き、26歳で死ぬんだろうなと漠然と考えていた。

勿論、その後も地球は、そして僕たち一人ひとりの人生も続いて今に至っている。このような根拠のない「予言」は馬鹿げていると同時に罪作りでもあって看過できないが、一方でその時点での自分の価値観や死生観と向き合うきっかけにはなる。そのとき何を大切に思っているか、何から解放されたいと感じているか…などである。

さあ、素知らぬ顔して明日からも日常を生きていこう。

2025年7月4日金曜日

会議日

 今日は2つの会議があった。10時からの教育課程委員会自体はオンラインだったのだが、13時から執行部会議が予定されていたので、暑い中大学に行った。

どちらの会議も2時間前後あり、大学でやろうと思っていた来週の授業準備がほとんどできなかった。来週はいろいろあって忙しいので、今週末に頑張らなくてはいけない。

午後5時くらいに大学を出て帰宅したのだが、夕方もやっぱり暑い。そろそろ今年のかき氷はじめをしなくてはいけない。それも今週末かな。


2025年7月3日木曜日

ダンテとベアトリーチェ

 今日は年に1回だけ担当するリレー講義「世界文学・文化論」の日だった。イタリア文学のことを多くの学生に知ってもらう機会であることに加えて、受講者は毎週いろいろな国の文学作品に触れているわけで、それらに負けたくないという対抗意識も働く。

ただ、今年から変更になったことがある。統一的なテーマが設定されたのだ。今年のテーマはスバリ「愛」! 日常生活で話すのは少し気恥ずかしいテーマであるが、主要な文学のトピックであることは間違いない。これまで、このリレー講義では主にピランデッロの演劇やカルヴィーノやタブッキといった現代作家の小説を取り上げてきたが、テーマが愛ということであれば、イタリア文学でダンテを取り上げないわけにはいかないだろう。『新生』と『神曲』におけるダンテのベアトリーチェへの愛について話した。

『新生』に書かれたベアトリーチェとの出会いやその後に見たヴィジョンにおけるベアトリーチェがダンテの心臓を食べるエピソードから始めて、最後は『神曲』における愛のアレゴリーとしてのベアトリーチェの姿まで一息に話した。

少しでもイタリア文学に興味を持てくれたとしたら嬉しい。今からコメントシートを読むことにしよう。

2025年7月2日水曜日

『国宝」

 今日は話題になっている映画『国宝』を観に行った。映画を観て久しぶりに圧倒された。いつもどこか批評的な距離を取り、分析しようとする自分がいるのだが、今日は俳優の演技の凄みに美しさに、そして人間の強さと弱さに感情を強く揺さぶられ、気づけば泣いていた。素晴らしい映画だった。


2025年6月30日月曜日

水無月

 梅雨なのに水無月とはこれいかに? と毎年思っていたのだが、今年はすでに梅雨も明けている。今日で2025年も半分が過ぎたことになる。すでにこのブログ上ですら何度も言っているが、時間はますます加速して進むようになってきている。この歳になると時間を追いかけようだとか、勢いを止めようだとか、ましてや時間の背中に乗って疾走しようなどという気力も体力もなくなり、呆然としたまま流されるだけになってしまう。

ニュースで茅の輪くぐりを紹介していた。今までしたことはないのだが、今年は年初から怪我が多く、本当はくぐっておきたいところだった。とりあえず、もう1つの風物詩の水無月はしっかり食す。妻の好みに合わせて、京都の五建外郎屋の水無月を今年も食べた。

さあ明日から今年も後半戦。とにかく元気に夏を乗り越えよう!

2025年6月29日日曜日

母の誕生日

 6月29日は母の誕生日だ。今日で74歳になったはずだ。こうしてブログに74と数字を書くと、その年齢が喚起するイメージが浮かんできて少し戸惑う。現実と釣り合わないように感じるが、あるいはそのイメージ通りかもしれないとも思う。そうか、もう74歳なのか。

なかなか鹿児島まで帰省することが少なくなり、たまに帰ると確かに両親は年をとったなという気がするようになっている。今では僕も妹も家庭を持ち、両親は一匹のコーギー犬と暮らしている。

朝電話をすると、いつもと変わらぬ声で受け答えをする。今朝早い時間に日時指定をしていたプレゼントが届いたらしい。日傘と洋服。もちろん妻のチョイス。母の日は何も考えることなく花を贈ればいいけど、誕生日は迷ってしまう。親の日常生活を知らないので、どんなものが必要か? サイズがどれくらいか? 何もわからない。それでも喜んでくれてよかった。

明日お中元を買いに行くから、何が欲しいと問われる。夏だし、ゼリーやジュースなどの詰め合わせでいいかと聞かれ、それでいいと答える。正直、なんでもいいんだけど。

とりあえずBuon Compleanno!

2025年6月28日土曜日

夏まつり

 朝いつものように9時ごろに大学に着いたのだが、地下鉄の駅を上ってキャンパスの3階入り口に着いた時点で、いつもとは違う明るさ・活気がそこにはあった。目に眩しい赤いTシャツを着たスタッフが簡易テントの間を忙しそうに動き回っていた。今日は2年ぶりの箕面キャンパスの夏まつりだった。

僕の仕事は、夏まつりに合わせて行われる模擬講義の前に10分ほど総合型入試の説明をするというものだったが、模擬講義が始まる午後1時前には、ホワイエからはバンドの演奏と模擬店でお客さんに呼びかける明るい声が聞こえており、エレベータにも近隣の人が家族連れで大勢乗っていて、中には浴衣を着ている子どもの姿もあった。

僕自身もすっかり高揚した気分で模擬講義が行われる大講義室に入ると、200名ほどの高校生がぎっしり座っていて驚くと同時に少し緊張した。

僕自身の総合型選抜入試の説明は別に可もなく不可もなく過ぎていったが、その後の模擬講義は素晴らしかった。あれだけ多くの高校生を前にして、学問の面白さを平易な言葉で伝えるのは結構難しいと思うのだが、担当された2人の先生方は高校生たちの注意を惹きつけていて素晴らしい講義だった。

夏まつりは晩の盆踊りまで続くということだったが、所用で僕自身は模擬講義の後すぐに大学を出なければならなかった。活気のある声は続いており、僕の後ろ髪を引いた。

2025年6月25日水曜日

2度目の万博

 今日は朝から家族3人で大阪関西万博を訪れた。僕は2度目だが、妻と息子は初めてなので、思う存分楽しんでもらいたいと思いながらも、並び疲れて不機嫌になったり、あまり万博自体に興味を持ってくれなかったりしたら…と心配なところもあった。

10時30分くらいに入場して、まずはサウジアラビアパビリオンに。建物自体もカッコよかったし、中庭の空間も素晴らしかった。その後、スペインパビリオンで風船を使ったショーが行われていて、これが日本では見たことがないタイプのショーで楽しかった。その後、モナコ公国のパビリオンとコモンズFに行って午前中は終了。カザフスタンはコモンズの中にあるにしては、かなり素晴らしく満足度が高かった。

お昼はどこか海外パビリオンのレストランに行きたかったのだが、コスパも考えて結局ラーメンに。美味しかったけど、もし次行くことがあれば、やはりどこか海外パビリオンのレストランに行ってみたい。

午後はコモンズのB, Cに立ち寄ってからベルギー館へ。今回の万博のテーマである「いのち」に正面から向かい合ったテーマとマネキンを巧みに使った演出の映像が印象に残った。そしてイタリア館! まずは、サルデーニャ島の伝統的な祝祭時の仮面舞踊を劇場で観ることができた。間近でカウベルの金属的な響きを聞きながら、様式化された人と牛の闘争のシーンを体験することができて興奮した。その後、パビリオン内の展示を鑑賞。何度見ても素晴らしい。もちろん初めての妻と息子がとても感激していたことも嬉しかった。

最後にシグネチャーパビリオンの一つである「いのちの動的平衡館」を見た。光のインスタレーションで、地球の歴史は利他的な共存のそれであったことが示されていて、これも印象に残るものだった。

東ゲートを出て、人波の中を夢洲駅まで歩く。1日中歩き回ったり、列に並んだりしていたので、僕も妻も足が痛かったが、息子はまた来たいと言っていた。よかった。






2025年6月20日金曜日

残念なこと

 イタリア語専攻では、毎年9月に4週間の海外語学研修を実施している。2回生の希望者を対象にシエナ外国人大学へ派遣して、90時間の研修を受講し、3単位として卒業単位に算入される。

それが今年は最終的に参加者がゼロになってしまった。昨年度は19名参加したのにである。

いろいろ要因はあるだろうと思う。学年によって学生のカラーが異なるのはいつものことだ。ほぼ全員が参加した昨年度も、ある意味イレギュラーだったことは間違いない。また、イレギュラーと言えば、今年は10月半ばまで大阪・関西万博があり、イタリアパビリオンでアルバイトをする学生が数名いたこと、個人で同じ時期に語学学校へ留学するものなどもいる。

危惧すべきことは、やはりユーロ高(というか過度の円安)の要因だろう。この研修を始めた10年以上前と比べて、参加費用が20万円ほど上がっている。それに加えて現地での生活費もかかる。これではちょっと苦しいなと率直に思う。

外国の語学や文化を学ぶうえで、今でも留学はその最適な方法だと信じている。感受性は本当は歳を取らないものなのかもしれないけれど、やっぱり若いうちに海外へ行ってみてほしいと思う。

シチリア方言

 今日の午後に1人学生が研究室を訪れてくれた。この夏の大学院入試を受ける意向で、シチリア方言について研究したいということだった。

私自身、シチリアの文学を研究しているものの、専らシチリアの作家が標準語で書いた作品を対象としているので、シチリア方言についてはそれほど明るくはない。イタリアの他の地域の方言と比して、あっこれはシチリア方言だ! とわかる程度で、シチリアの人同士が方言で話していると、その内容を理解することはできない、残念ながら。

日本にいながら外国の方言を学ぶことは難しい。音韻の変化や母音や子音の転位など、傾向を研究所から学ぶことはできるだろうけど、肝心の音声を伴わない研究では不十分だろう。

そういうことを話した。ただ、卒論に関しては、私が研究している作家の短編小説に限定して、その中で使われているシチリア方言について扱うという。現実的でFattibileな選択だと思う。

ともあれ、現在イタリア語関連で言語学を専門としている研究者は少ないので、大いに期待している。できるだけサポートしていけたらいいな。

2025年6月18日水曜日

アイスモナカ

 気がつくと誕生日から2週間弱が過ぎ、マイナンバーカードの電子チップ?の更新期限が過ぎていた。この5年間マイナンバーカードを使った記憶はあまりなかったのだが、通知の手紙がいつまでも机に載っているのが気になって更新に出かけた。

区役所までは自転車で10分くらい。ただ、外気の暑さに頭がぼうっとする。これからは帽子をかぶり肌を守るために長袖を着たほうがいいかもしれない。

更新の手続き自体は割とあっさり終わった。期限を過ぎていたので、最悪最初からやり直しかと思ったがそんなこともなく、スムースに更新された。

区役所を出ると再びの熱気。近くにあるゼー六へと自然と吸い寄せられていく。いや、嘘だ、今日家を出る前から、絶対帰りにアイスモナカとコーヒーをいただこうと決めていた。店の前には持ち帰りの人々が列をなしていたが、幸運なことに店内のテーブルが1つ空いていてすぐに入店できた。

ここのアイスモナカは不思議な清涼感があり、食べても喉が渇かない。口の中もベタベタしない。僕たちが店内で食べている間にも、8個、10個と店の前で声が聞こえ、その度に店主が新聞紙で包んでアイスモナカを渡していく。妻曰く、この辺りの人は外回りのお土産に買っていくらしい。確かに、この近くに職場があれば、毎日でも食べたいなと思う。




2025年6月17日火曜日

舟を編む

 楽しみにしていたドラマが始まった。もう10年以上前だろうか、本屋大賞を受賞した時に話題になっていたのに読んでいなかった『舟を編む』のドラマがNHKでスタートした。言葉の大海原を迷わずに渡るための舟としての辞書を編纂する人々の物語だ。第1話から言葉のニュアンスが持つ意味の深さと表現の可能性、そして時に人を傷つけてしまうような危うさとを教えてくれた。月並みではあるが、僕自身も言葉を大切に使っていきたい。

イタリア関係の研究者の間でも時々話題になるが、イタリア語の大海原を渡る船が相当古くなっていて、新しい岩礁や渦に耐えられるか心配である。学習者人口の減少や費用対効果の問題もあるのだろうが、新しい舟は編まれるべきだと思う。日本でイタリアを研究する者にとって、切実な願いである。


2025年6月16日月曜日

蒸し暑さ

 いよいよ苦手な季節が本格的に到来した。豊中キャンパスへ向かう学内連絡バス。いつも始発の吹田キャンパスから箕面へ来た時点で満員で豊中までの約20分立って乗車しなければならないのだが、今日はバスの中の湿度がかなり高かった。つり革も持てず、乗車したドアの上方に手をつきながら何とかバランスを取っていたのだが、じっとりと汗がにじみ出てくる。一緒に乗っていたのがビルマ語の先生だったということもあって、(ミャンマーではないが)マレーシアやシンガポールに初めて行った時の驚きを思い出していた。粘度の高いミストシャワーのなかにいるような感じだった。

夏自体は嫌いじゃないけど、出来ればカラッとして少し痛いくらいの陽射しだといいんだけど。

そういえば明日妻は友人と布引ハーブ園に行くと言っていた。言葉を聞いただけで清涼感を感じてしまう、なかなかいいチョイスで羨ましい。

2025年6月15日日曜日

父の日

 6月の第3日曜日は父の日だ。自分が親になってずっと思っていることだが、同じ一親等の関係性であっても、親に対する思いと子どもに対する思いは全然違う。勿論、理屈の上では、自分が父親になり子どものことを気にかけるようになると、父親も僕に対してこんな心配を抱いていたのかな、と想像できるのだけれど、だからと言って子どもへの愛情と同じ大きさと深さを持った気持ちを父親に向けられるかというとなかなか難しい。

ということは、裏を返すまでもなく、息子も僕に対してそれほどの気持ちを抱くことはないんだろうな。なんの連絡もなく終わろうとしている父の日の夜にふと思って、ふふって笑う。

2025年6月14日土曜日

アラビア語とファッションカンタータ

 今日は土曜日。午前中はいつもように自室で自分の勉強と来週の予習をする代わりに、久しぶりにアラビア語の勉強をしていた。毎週土曜日の午後にオンラインで授業を受けているのだが、ここのところ仕事やイベントで数回連続欠席してしまっていた。だが、今日は久しぶりに参加できる! あらかじめ会話(作文添削?と言った方が実態に近いかもしれない)のテーマは決まっているので、とりあえず回答を想定しておく。ちなみに今日のテーマは「もしあなたが1日だけ歴史上の人物、あるいは空想上の人物になれるとしたら、誰を選びますか? そして、その日何をしますか?」という質問。なかなか難しい。ヒーローや大富豪になることも考えたが、たった1日だけという条件があったので、よくばりな僕は『Back to the future』のドクになってタイムマシンで過去に行き、現在の世界が僕にとってあらゆる面で心地よいものになるように、歴史を変えまくると答えておいた。あまり受けなかった…

妻は今日は京都劇場で開催されていたファッションカンタータに行ってきたみたい。水川あさみやシシドカフカより、ダンサーのアオイヤマダの着こなしと動きに感銘を受けたようだった。ちょっとだけ僕も行ってみたかったな。

2025年6月13日金曜日

なノにわの青

 今日は午後にオンライン会議が2つ。オンラインの会議はなかなか集中するのが難しくて得意ではない。なんだろう。同じ空気を共有していないせいか、発言もしにくい感じ。

自室で2つ目の会議に参加していたとき、不意に息子が京都から立ち寄った。エジプトから持ち帰ってきた本がまだ大量にこちらにあり、少し持って帰るそうだ。午後に梅田で友達と会っていたらしい。とにかく嬉しいサプライズだ(たとえ明後日の父の日なんて覚えてなくても)。

せっかく息子も来たので、近くのなノにわにある回転寿司に。いつもはがら空きなのに、金曜日の晩のせいか8組待ちだった。だんだん青が濃くなっていく僕の好きな時間。芝生には小さな子どもが走り、時々めちゃくちゃ大きな、それでいてぬいぐるみのような犬が散歩で通る。そういえばまだ見せてもらってなかったということで、ベンチに座りながら息子のスマホに入った留学中の写真を見ながら、いろいろ思い出話を聞いた。

待ち時間が長くてよかった。

2025年6月12日木曜日

学科会議

 今年は時間割の関係で、学科の教員が一堂に会するのは木曜日しかない。弊学の場合、複数キャンパスがあることもあり、授業がある日でも別キャンパスだったりすると互いに会えないので、木曜日はゆっくり話せる貴重な機会だ。

お昼にご飯を食べながら、あるいは午後にそれぞれが属している委員会の会議が終わった後で、誰かの研究室に集まり、エスプレッソとお菓子を前に雑談を交わす。

今日は各授業において気になる学生のことや8月に実施予定の大学院入試やオープンキャンパスのこと、その他の懸案について話した。先週、カルヴィーノシンポジウムを終えて、近々は特に大きなイベント等もないため、リラックスした語らいの時間だった。

2025年6月11日水曜日

お中元

 今日は授業がない水曜日。会議もなかったので大学には行かず、自宅で勉強と授業の予習。お昼にお中元を買って発送するためになんばの高島屋まで行った。今年はお素麺。

その後、なんばの地下を歩いていたが、やはり広すぎて目指す場所(ある銀行のATM)になかなかつけなかった。途中パン屋でカフェを飲み帰ってきた。

夜はDAZNでナイター観戦。我がライオンズにとっては珍しいサヨナラ勝ちでテンションが上がった。

2025年6月10日火曜日

卒業生の来訪

 今日は数年前に卒業した学生が研究室を訪ねてくれた。教員をしていて嬉しいことの1つである。これまで連絡をとっていなかったわけではなく、数ヶ月前に大学院附属の複言語・複文化共存社会研究センターのちょっとした(といってもとても大切な)仕事をお願いしていた。今日はその進捗の報告も兼ねて来てくれたようだ。

僕のゼミ生であったが、卒業論文執筆時の指導の際にはとても苦労したことを覚えている。真面目で研究熱心な学生だったが、調べていたことを論文の形にまとめることに苦労していた。

今日は彼女がいましている活動のことや、ふくふくセンターでお願いした仕事の話などを1時間ほどした。イタリア語と関わろうと努力し続けていることが嬉しかった。

Ci vediamo! またね。

2025年6月9日月曜日

梅雨入り

 関西地方も梅雨入りしたらしい。今日はそれほど強くは降らなかったものの、湿度はだいぶ高くなってきており、これからの苦手な季節の到来を十分に予期させるものだった。

月曜日は講義系の授業が多く、帰宅時には声が疲れてしまう。帰宅すると妻がメープル味のキャンディをくれた。カナダからのお土産らしい。

今日のお昼、息子が小学校時代に少しだけ通っていたイタリア語学校のママ友がうちに遊びにきたらしく、そのうちの1人が最近カナダに旅行に行っていたらしい。イタリア語学校時代のママ友だけあって、今日集まった3人のうち1人はイタリア人で、あとの2人にはイタリア人のご主人がいる。なかなかインターナショナルな集まりだ。昼ごはんは大阪城近くのなノにわで食べたらしいが、雨には当たらなかったということだ。

どんな話をしていたのかは聞かないが、楽しんでおしゃべりしていたようでよかった。



2025年6月8日日曜日

再び2人に…

 先週の水曜日に帰国した息子と昨日まで4日ほど一緒に過ごしていたが、今日からは大阪で再び妻と2人の生活である。午前中に自分の仕事をして、お昼過ぎに天王寺へ。日曜日にも営業している郵便局の窓口へ行き小包を送ってから、天王寺MIO内の中華料理店へ。昼間から酎ハイを片手に、酢豚と麻婆豆腐と天津飯をいただく。美味しかった。その後、てんしばの直売所で野菜を多めに買ってから帰宅。

夜は晩御飯を食べた後、明日の予習。月曜火曜は1限目から授業なので早めに就寝。

うん、いつものリズムに戻った感じ。

2025年6月7日土曜日

お疲れピョンピョン

 京都で目覚める。朝10時前には義母と義妹が来て、息子との約9ヶ月ぶりの対面を喜んでいたのも束の間、10時過ぎにはリフォームの担当の方が来て、京都のマンションのリフォーム計画について話し合いが始まった。

僕と息子は途中で抜けて携帯会社へ。エジプトでは現地のSIMを使っていた息子だが、日本のキャリアのSIMカードを紛失してしまっていたらしい。スマホの契約者は僕なので、僕も一緒にSIMの再発行に赴く。それ自体はスムースに済んだのだが、その後いつものように機種変更やおうちのネット回線の営業に親子で閉口する。いつものように営業トークに警戒し、ちょっと嫌な気になる。

その後、無印良品に行き、帰国後の息子の1人暮らしに当面必要になるものを購入して帰宅。もうリフォームの担当の方は帰っていたので、義母や義妹も一緒に近くのベトナム料理屋へ。帰国した息子のリクエストだったのだが、義母の好みではなかったかもしれない。

夕方、義母と義妹は帰り、しばらくゆっくり過ごしたのち、晩は少し歩いてスペインバルへ。生ハムやムール貝のワイン蒸し、パエジャなどを食べ、サングリアを飲んで今日も楽しく過ごす。スペイン人の店主はとても陽気でいつも関西弁で冗談を飛ばしてくる。そして会計を済ませて店を出る時には必ず別れの挨拶をするのだ。

「お疲れピョンピョン!」


2025年6月6日金曜日

誕生日🎂

 52回目の誕生日を無事、家族と過ごせたことを幸せに思う。

昨晩はエジプトから帰国した息子と遅くまで話をしていたせいか、今日は9時前に起床。珍しく会議もない金曜日なので、ゆっくり始動。10時前にいつもの朝食(パンとコーヒー)に加えて、エジプト土産の甘いお菓子をいくつかとKarak teaをいただく。お酒を(あまり)飲まないせいか、中東はお菓子文化が発達している。どれも美味しかった。

それから少し自分の仕事をして、16時に予約していた南森町の焼肉屋へ。誕生日を口実にいつもよりたくさん注文して、心地よい酔いと満腹感のなか、スーツケースを引き、みんなで京都の家へ。帰国時の大量の荷物を運んで、京都の家をまたシステマーレしなければならない。

京都についてからは、本や洋服などを片付けながら、また土産話を聞いて過ごした。

2025年6月5日木曜日

カルヴィーノシンポジウムとケーキ

 今日は朝から慌しかった。同僚の先生が中心になって進めてきたシンポジウムが10時30分から予定されていたのだ。イタリアから3名、日本から1名の先生をお招きして、イタリア現代文学を代表する作家イタロ・カルヴィーノについてのシンポジウムだった。今日の午後には教授会など会議が予定されており、高名な先生方4名にお話しいただくのに、全部で90分しか時間が取れないという贅沢な、だからこそ中身を充実させなければならないシンポジウムだった。

最後に学生たちからの質問も出て、シンポジウムは、やはり時間の短さを恨みつつも成功裡に終わった。講演していただいた先生方や献身的に準備をしてくれた同僚たちのお陰である。ラウンジで用意していたお弁当を食べながらしばし歓談していたが、13時からの教授会の準備で(僕はなぜか前の執行部席に座らなければならない…)先に退席させてもらう。後ろ髪が引かれる思いだった。

教授会終了後、いつものようにみんなでカフェを飲もうと同僚の研究室に入ると、Tanti auguri a te🎵 白くて丸いケーキが目に飛び込んできた。明日誕生日を迎える僕に同僚たちからのサプライズだった。そういえば昨年もしてくれたことを思い出したが、今年は今日のシンポジウムのことで頭がいっぱいで、まったく想定していなかった。本当に嬉しかった!

素晴らしい同僚たちに恵まれて幸せである。





2025年6月4日水曜日

息子の帰国とイタリア共和国記念式典

 19時30分ごろ。すでに1時間ほど前から続いている主催者や来賓の方々の挨拶に耳を傾けながらも、スマホの通知が気になっていた。そろそろ何らかの連絡が来てもいい頃だ。

6月2日はイタリアが79年前に共和制を選択した記念日だ。その2日後の今日、イタリア総領事館の主催でその記念式典が中之島美術館で開かれていた。農業政策・食料主権相のフランチェスコ・ロッロブリージダ閣下や大阪商工会議所会頭のサントリーの鳥井信吾氏を迎えて、日本におけるイタリアの「食」の普及に貢献された方々の表彰も行われていて、なかなか歓談と食事の時間は訪れなかった。

一方、今日の19時に関空に息子が帰ってくることになっていた。9ヶ月のエジプト語学留学からの帰国である。日本に着いたら、せめて何らかの連絡はあるだろうと期待していた。

式典開始から1時間30分余りが経過した8時15分ごろに、ようやく立食形式で美味しい食事をとりながら歓談できる時間が訪れた。その日の参加者の中には、小学校時代イタリア文化会館でイタリア語を学んでいた息子を知っている人たちも何人かいて、息子の話も出てきた。

「今どうしてるんですか?」

「いや、ちょうど今日、留学から帰国することになってるんです。もう関空についている頃なんですけど」

結局、帰宅するまで息子からの連絡は来ず。LINEを送ると返事が来た。スマホの日本のSIMカードが見当たらずエジプトのSIMを入れたままだったので、自宅まで戻った後にWIFIを使って連絡するつもりだった、とのこと。

2025年6月3日火曜日

雨の匂い

 朝マンションを出て、久しぶりに雨の匂いに包まれた。植栽の中から、あるいはアスファルトから立ち上るような湿った匂い。10日ほど前にも雨は降っていたが、その時にはあまり雨の匂いはしていなかった気がする。まだ、関西地方は梅雨入りはしていないが、今日は終日雨模様だった。

汗かきな僕は蒸し暑い梅雨が苦手だ。6月生まれなのに。7、8月の方が気温は高いが、湿気をあまり感じない分だけまだ耐えられる。

ただ、そんな6月にも僕の心に清涼感を与えるものがある。白い紫陽花である。京都のマンションのすぐ前に花屋があるのだが、毎年この季節になると純白の紫陽花が現れる。漂白したかのような真っ白なのだが、妙に心惹かれてしまう。買って研究室に飾っておこうと毎年思うのだが、週に3日程度しか研究室に行かないので躊躇してしまって、結局1度も買っていない。枯らしてしまうことより、白がくすんでしまうそうなのが何か嫌なのだ。

2025年6月2日月曜日

半袖

 今日から半袖を着て通勤。妻は結構しきたりとか習慣とかを大切にする人なので、6月から衣替え。僕自身は暑がりなこともあって、1人暮らしだったときは暑くなると4月でも半袖シャツを着て仕事に行っていたけど。

それにしても…もう6月。この1年も約半分が過ぎることになる。年齢を重ねると時間の経過が早く感じるのは周知のことだけど、今年はあまりにも早く過ぎ去っているように思える。もう少しゆっくり流れてほしい、と思う。勿論、計画であったり心の余裕であったり、時間の経過の速さは自分自身に起因するものが多いんだろうけど。

2025年6月1日日曜日

初万博!

 今日初めて関西万博に行ってみた。

「万博」に対しては、小学校の時にあった「つくば万博」にどうしても行きたかったことを覚えている。当時通っていた公文だったと思うが『コペル21』という雑誌を発刊していて、その中で「つくば万博」の特集があり(あるいは、特集号だったかもしれない)、行きたいと親に頼んだ覚えがある(鹿児島から行くことは結局叶わなかったのだが)。

その後に「万博」と僕がすれ違ったのは、約11年前。初舞台で出た『湯けむりに花』(横山拓也作、小原延之演出)が1970年の大阪万博の頃を舞台背景としていて、みんなで万博記念公園に行ったり、衣装やパビリオンといった当時の風俗を調べたりした。

そしてついに、今日生の万博に初めて行ってみた。シャインハットで開催されたパソナグループの50周年の式典に招かれたのがきっかけであったが、それ以外の時間もいくつかのパビリオンを訪れることができた。

海外パビリオンについては、力の入れ具合にかなり差があるのは確かだ。でも、国の紹介ビデオの展示のような国にしたって、今まで知らなかった景色や人々の生活を見ることができるだけで楽しかった。シグネチャーパビリオンはどれも(といっても2つしか行けていないが)工夫を凝らしているし、メッセージ性もあって興味深い。まぁ、とにかくイタリアパビリオンは最高だったってこと。

会期中にまだまだ行けたらいいな。



2025年5月31日土曜日

カルヴィーノシンポジウム

 今日の午後は東京大学で開催されたイタロ・カルヴィーノのシンポジウムにオンラインで参加した。韓国、中国、日本からそれぞれ1人の研究者がそれぞれの国におけるカルヴィーノの受容やその後の影響について発表された。日本の研究者は『マルコヴァルドさんの四季』の受容と影響について、それを翻訳した研究者で作家でもある安藤美紀夫と関連づけながら話していて、とても興味深い観点だと思った。

何よりアジアのイタリア文学研究者を集めてイタリア語でカルヴィーノについてのシンポジウムを開催した意義は大きい。昨日のイタリア文化会館でのシンポジウムは、イタリア人研究者と日本人の研究者ががっぷり四つに組んで、カルヴィーノの来日をテーマにしたものであったが、今日のシンポジウムはそれを補完するアジア側諸国におけるカルヴィーノ受容がテーマであった。このシンポジウムを企画・開催したイタリア文化会館のスタッフと東京大学の先生方に敬意を表したい。

来週の木曜日は阪大でも学生を対象としてカルヴィーノの特別講演会を行う。文化会館でも講演をされた4名の先生をお招きして、今度は学生を対象にカルヴィーノの魅力をお話いただく。僕たちも負けないように意義深いイベントにしたい。

2025年5月30日金曜日

RRR

 今日は授業はなく、執行部会議のためだけに大学へ行った。会議では来週の教授会での議題整理とあとは予算執行に関するあれこれ。メディアでもよく言われているように、国から国立大学法人に与えられる運営費交付金は年々減額されているので、なかなか悩ましい。

家に帰って夕食の後、Amazonプライムでボリウッド映画RRRを観た。映画館で観ようと思っていたが機会を逸してしまっていた作品だった。噂通りの大迫力&漫画のようなアクションとお約束のダンスシーンがツボに入ってしまった。悩みが吹っ飛ぶほど楽しい。ただ、インド人がもしみんなあんなだったら、インド人とは友達になれそうにないな、育まれているエンタメの文化が違いすぎる! と思った。

2025年5月29日木曜日

GPAについて

 大学の成績の指標の一つにGPAというものがある。Grade Point Averageの略で各科目の成績を点数に変換し、その点数に科目の単位数をかけた合計を履修した科目の総単位数で割り出した数値を言う。

今日の教務委員会およびその後の教育担当理事との話し合いの中で、このGPAの改革の話が出た。海外の大学院への留学時に一定以上の数値を条件に課す国があるということである。イタリアはまったく気にしてないようだけど(僕の専門領域ではすくなくとも)。それで、教員が与える素点と現在のGPAとの変換の数字を学生に有利になるように変えようというもの。

学生が有利になるのなら大歓迎な話。でも一方で、GPA制度自体、何となく興味があるからとりあえず授業をとってみようかな、という僕みたいな層には、それで悪い点数を取ってしまうとその数値が下がってしまうという制度。僕が通った大学では当時コンピュータ処理などもなされていなかったのか、履修登録の際にはすべての開講科目に〇をつけて提出していた。身体は1つなので、同一時限に開講されている科目を複数受講することは物理的・理論的にできないのだが、一方が筆記試験で他方がレポート試験とかだと両方単位がもらえることもあったし、先生のミスなのか、1度も出席もせず試験も受けてない科目の単位がもらえたりすることもあった。牧歌的過ぎる時代だった。

2025年5月28日水曜日

甲子園

 高校時代の友人から数日前に連絡が入り、今晩の甲子園のチケットが1枚余っているから一緒に行かないかというお誘いだった。その友人とは数年間会っていなかったので、まず何よりも再会を楽しみに、会議終了後急いで甲子園に向かった。

座席は何と東芝プレミアムシート! まさにバックネット裏で、僕のプロ野球観戦史上最もいい座席だった。甲子園カレーとビールを持って席に着いただけで気持ちが高揚した。西武ファンの僕は京セラドームのオリックス戦にはよく行くのだが、甲子園は本当に久々だった。

やっぱり屋外の球場は素晴らしい。曇り空が時間の経過に連れて暗くなり、ナイターのライトがより光度を増したように感じてくる。阪神の応援は球場全体からスパイラル上にうねり上がってくるような迫力があった。これは相手のチームにとっては脅威だろうと思う。

試合は9イニングを通じてずっと押されてはいたものの、チャンスにタイムリーが出るか出ないかの差で、阪神が1-0で勝利。帰りの阪神電車でもみな幸せそうだった。




2025年5月27日火曜日

しあわせは食べて寝て待て

 今日最終話だったドラマの話。NHKで晩10時からやっていた『しあわせは食べて寝て待て』問うタイトル。時間帯が合うのか、妻が見ていたので何となく毎週見ていた。膠原病になってしまい、いろいろな夢を諦めてしまいそうになった女性が団地での生活と薬膳に支えられて再生していく、というストーリーなのだが、登場人物の善良さとチル効果のあるような音楽が心地よかった。何かがあって急激に展開したり解決したりするわけではないし、また登場人物の性格も実際にはリアルではないのだが、一歩一歩進んだり、後退していったりする歩みにリアルさを感じた。

年齢を重ねていくと刺さるドラマも変わっていくというお話。

2025年5月26日月曜日

息子の友達のインスタ

 月曜日は3コマ。それも1限から。1限は今ピランデッロの戯曲を読んでいる。「演じる」ところまではいかないが、声に出して「読んで」いる。朝一なので、みんな声の張りはそれほど良くないが楽しい授業。

午後の4限5限は1年生の文法と初年次の基礎ゼミ。いずれも私自身が話す時間の多い授業。キャンパスの移動もあり、帰りの阪急では疲労を感じる。

晩ご飯を食べて、ここ数日は息子の友人のインスタに目を通す。うちの子どもはほとんど連絡をよこさないし、SNSの投稿もあまりしないのだが、今エジプトに息子を訪ねに行っている小中学校時代の友人は、毎日かなりの量の写真やや動画をインスタにあげてくれている。その中に現れる息子の姿や声を楽しむ。

あと数週間となった留学生活、最後まで無事に楽しんでもらいたい。

2025年5月25日日曜日

おでかけ

 雨もやんだし、どこかに出かけたいね。そう言っているうちに時間は無為に流れていた。休日あるあるといってよい。今週の授業の予習をして、会議の準備をして、ちょっと音楽を聴いて、読書をして・・・ 結局、午後遅くに美味しいスコーンを食べに行こうと近所のトリントンティールームに行ってみたのだが、お目当てのスコーンはもう売り切れており、別のケーキを買って紅茶を飲む。それなりに美味しかったのだが、やっぱりスコーンが食べたかったなぁと思う。帰りにスーパーで買い物をして帰る。

なんてことのない幸せな日曜日。

2025年5月24日土曜日

しとしとと雨

 今日は朝から一日中弱い雨が降っていた。部屋の窓から、そしてリビングの窓から時折外を眺めてみたが、いつみても道路は濡れ、傘を刺した人が歩いていた。結局、今日は家から一歩も外に出ることはなかった。

朝からアラビア語の勉強をしていた。前にもこのブログで書いたかもしれないが、5年ほど前からオンラインの講座でアラビア語を勉強している。ただ、春に3ヶ月、秋に3ヶ月のコースで、授業がない期間はほとんどアラビア語に触れることはない。学生には口酸っぱく、語学上達のコツはとにかく毎日触れること! と言っているにもかかわらずである。

この5月から春のコースが始まったのだが、土曜日の14時45分からという時間はなかなか難しくて、3週目にして今日初めて授業を受けることができた。今日のお題は、外国で触れた異文化に対する驚き、そんな難しいお題でいきなり振られて答えられるわけがない。しどろもどろに3月のエジプトで体験したラマダンの話をした。文法は大部分間違っていたと思う。まともに答えられるのはいつも、挨拶と今日の天気くらい。

大阪は今日は朝からしとしとと雨が降り続いています。「しとしとと」という副詞だけを辞書で調べて、スムーズに答えることができた。

2025年5月22日木曜日

burocrazia

 手続きって本当にややこしい。来月の初旬にイタリアから3名と日本から1名研究者を招いて、学科主催の特別講演会を行うのであるが、宿泊費と謝金の支払いのための手続きに午後のかなりの時間を費やしてしまった。学内からしかアクセスできない財務会計システムと旅費申請システムで申請をした上で、代人払いの手続きやイタリア人への支払いに関しては租税条約適用の申請もしなければならない。今日は同僚と3人で何度も経理係に足を運ぶ羽目になってしまった。

そう、6月5日にイタリアの作家イタロ・カルヴィーノに関する特別講演会を箕面キャンパスで開催できることになった。東京と大阪のイタリア文化会館の後援によるもの。学生たちにイタリアの文学や小説を知ってもらう絶好の機会。この週末は、文学史用のレジュメに少し手を加えて、学生向けにカルヴィーノの生涯や作品の解説を作ろうかな。

夜は学会の仕事でオンライン会議。私がリマインドを忘れていたために、お1人の委員が失念していて来られなかった。数日前までは、ちゃんとリマインドしなきゃと覚えていたのになぁ。

2025年5月21日水曜日

特別講義

 今日の2限目は僕の大先輩にあたる先生に特別講義をしていただいた。キャンパスの近くに住まわれていることもあり、また現在の学科教員ではカバーできていない領域や時代をご専門に研究されていることもあり、昨年から毎年1度講義をお願いしている。

学生と一緒に講義を拝聴していて、なんだか懐かしい気分を感じていた。僕自身その先生に習ったはないのだが、講義のスタイルが僕の学生時代の先生を思い起こさせるのだ。レジュメには必要最小限のキーワードしか書いておらず、知的好奇心を刺激する脱線に満ち溢れていて、能動的にメモを取ることが必要になる。今の僕でも知らないことが多く出てきて、学問の広がりと奥深さを垣間見させてくれる。

翻って自分の授業を鑑みてみると、学生にわかりやすいようにと詳細なレジュメを作り、説明も、学生の理解度を表情から推し量りつつ段階的に行おうとしている。これでは、僕が学生のときに味わったような、学問や研究に対して畏怖の念を持てないのではないか、と思う。その良い悪いは別の問題として。

2025年5月20日火曜日

学生のプレゼン

 今日も3コマ。そのうち文化演習の授業では、毎回60分の講読の後に30分ほど時間を取り、4つのグループに分けてイタリアの文化や社会のトピックに関してリサーチクエスチョンを設定し、その調査をしてもらっている。そして5週に1度プレゼンをしてもらっているのだが、今日が最初の発表の日だった。各グループはそれぞれ、シエナとヴェネツィアの祝祭がコミュニティにおいて持つ意味、ミラノにおけるファッション教育とファッションウィークとの関連、カフェとパスタがイタリアの食文化と代表となった経緯、そして広場の機能に関する考察について発表してくれた。

各グループ、内容もさることながら、プレゼンのスライド造りが本当に上手で参考になる。僕などはパワーポイントすらもその機能の一端しか使えないが、学生はCanvaなるアプリを使って綺麗で見やすいスライドを作っているようだ。

以前にこのブログでも書いた生成AIや機械翻訳についてもそうだが、教員側も新しいソフトウェアをある程度使えるようにならないといけない。

2025年5月19日月曜日

緑のコンポジション

 教卓の椅子に座り、ぼうっと前方を見ていると、新緑というにはもう色濃くなりすぎた木々が不思議なコンポジションを作っていた。4限目の1年生の文法の時間、20分ほどの小テストを解かせる間のこと。その教室の窓は上部が大きく、下部の窓は小さめになっている。まだ冷房が入っておらず、半分くらい空いている窓もあれば、窓が4分の3ほど空いていてさらに網戸も半分くらい空いている窓、ほんのわずかにだけ空いている窓などがあり、窓枠と網戸の枠がいろいろな形の長方形を作っていた。窓の向こうの木々の陰影と相まって、ちょっとモンドリアンのコンポジション風に見えた。

2025年5月18日日曜日

LAZIO REGION AT EXPO 2025 OSAKA | Opening Ceremony

 Zegna のスーツにGucciのショルダーバッグをもって、大阪のセントレジスホテルに。それだけの格好をしても、きっと傍目にも場違い感は出ていただろう。このような場でそれにふさわしい態度を取ることは難しい。

今宵は大阪万博のラツィオ州ウィークが始まるのを記念したセレモニーに招待された。高級スーツやドレスを着て会場のあちこちで談笑する男女の口からは、今朝ほどのミケランジェロの彫刻の除幕式の話も漏れ聞こえてくる。

シャンパンとお菓子を片手に1時間ほどのおしゃべりタイムが終わった後で、まずはコンサートが始まった。ローマ・オペラ座の若手歌手4人の歌声は、セントレジスホテルのレストランといえども狭すぎると言わざるを得ないほど大迫力で響き渡り鳥肌が立った。

21時くらいからラツィオ州の料理をコースでいただく。ミシュランシェフをイタリアから呼んでいて、大人数の出席者にもかかわらず、完璧なアルデンテでサーブされるアマトリチャーナや牛肉の煮込みは絶品だった。前菜では、日本のイタリアンではほとんどお目にかからないカルチョーフィのユダヤ風も食べることができた。

席上では、日伊の万博の代表者や商工会議所の方、ローマの大学関係者など、いろいろな方とお話しすることができた。

あまり僕には似つかわしくない場所だったけど、たまにはこんな雰囲気を味わうのもいいかもしれない。

2025年5月17日土曜日

リフォームの見積もりとセカンドチャンス

 今日の午後は妻と一緒にリフォームの展示場に。まだどのくらいの規模でリフォームをするかは決めていないのだが、こちら側の希望などを提示し、いろいろ相談させていただく。プランナー?の人は、毎回こちらの要望に合わせて図面を作ってきてくれる。僕などは平面から立体を想像する能力に欠けているのか(そういえば数学でも展開図の問題はあまり得意ではなかった)ピンとこない部分もたくさんあるが、妻の方は図面を見て、実際に生活上で不便そうな点を次々に指摘していく。その後、キッチンや水回り、断熱材など様々な商品の展示を見て回る。ここでもぼんやり生活している僕にはなかなか気づかない工夫がいろいろ説明される。僕は常々選ぶ楽しみに価値をかなり置いている(だからレストランや居酒屋でも注文に時間をかけてしまい、妻には優柔不断扱いをされている)のだが、リフォームでは家の細部に関して、ほぼ無数とも言える選択肢がある。勿論金額の制約はあるのだけど。

晩は楽しみにしていたお笑い賞レースのTHE SECONDをゆっくり楽しむ。ファーストチャンスを活かせなかった芸歴16年以上の芸人に参加資格があるものだが、16年以上1つのことを続けていられた時点で、かなりの適性があったんじゃないかなと僕なんかは思ってしまう。今日のトーナメントでもそうだったが、僕の感覚がずれてきているのだろう、僕が面白いと思った方が負けてしまうことが多かった。なんか悔しい。