2025年12月9日火曜日

火曜日の授業について

 最近忙しくなって、このブログも5日だとか1週間だとかまとめて書くことも増えてきた。小学校の夏休みの宿題の絵日記のような状態だ。毎日の単調な生活の中でも、ささやかな発見やその時に感じていることを記録に残すことで、少しでも生活に彩りを添えたり、時間を大切に過ごそう思って始めたはずなのに。

それで何も特段書くことがない日の分は無理に書かないのだが、カレンダーを見てみると火曜日にブログを書いていないことが多い。授業は3コマと1週間のうちで最も多い日なのだが、その分印象に残る「非日常」が少ないのかもしれない。

今日は火曜日の授業のことを書こうと思う。

1限は2年生の講読の授業。後期はイタリアの新聞や雑誌を読んでいる。背景説明や僕自身も追えていない政治の話題を選ぶことは少なく、文化的な話題や事件記事を題材にすることが多い。今日は、子どもたちを電気もトイレもない自然の中で育てている父親から、裁判所が子供と奥さんを引き離して施設に保護した、という記事を読んだ。子どもが今現在何を感じているか、将来どのように感じるか、はわからない。子育てにおける親のエゴは多かれ少なかれ誰にでもあるだろう。難しい問題だ。

2限目は映画を使った文化演習の授業。ここ数週間は僕の好きな映画 I cento passi (『ペッピーノの百歩』)を見ながら、マフィアの話をしている。観るたびにいろいろな箇所で泣いてしまう映画だ。涙腺も弱くなっているのだろう。

そして4限目は大学院の授業。今年は1人しか受講生がいないので、学生の修士論文のテーマに関わる文献を一緒に精読しているが、修辞学と哲学の対立を扱った論文2本を併読しており、僕の専門とは違う時代ということもあって、なかなか難しい。今季はこの授業に一番予習の時間をかけているかもしれない。


0 件のコメント:

コメントを投稿